Page: 1/43   >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | | - | - |
父権自我精神力学の解明:父権-陽自我は反動反射的暴力衝動をもち狂気化する
JUGEMテーマ:学問・学校

父権自我精神力学の解明:父権-陽自我は反動反射的暴力衝動をもち狂気化する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合 先に以下を書いたが、まだ、直観的に不分明であるので、さらに検討したい。
 陰陽図を用いて考察していく。


        
         http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

問題は先に述べた父権自我の否定衝動化、否定自動化(オートマティズム化)の力学である。
 父権自我又は陽自我の同一性力学はどのようなメカニズムなのだろうか。私は「陽の中の陰」に抑圧力学を見た、陰と陽との境界にココロがあると考えたのであり、そうすると、境界面に対して抑圧が作用しているということは可能性がある。
 どちらが正しいのだろうか。それとも、両方が正しいのだろうか。
 どうも、両方が作用していると観るのが正しいように思えてきた。
 つまり、陽の中の陰は当然、本体の陰と結びついている。
そして、陽の同一性力学を受けて、陰を抑圧するのである。
 この陰に対する抑圧であるが、それは、陽の中の陰を介するにせよ、結局は、陰本体にはたらくのである。
 それは、当然、ココロの境界面に対して、抑圧するということになるだろう。
 ということで、父権自我、陽自我の、陰に対する同一性的否定・抑圧は、陽の中の陰とココロの境界面の両方に作用するということになった。これを、現時点での、仮説とする。
 さて、父権自我、陽自我の否定衝動、否定自動化についてであるが、先に心理学者ユングの中年の危機の説を借りて、精神の成長の二段階を考えた。つまり、 成人に成長する過程は陽主導であり、その後、中年へと推移するにかけて、精神の力学のいわばベクトルが逆転して、陰主導になると考えるのである。
 つまり、若いときは、陽自我、父権自我が主導するのであり、これは、能動性の形成という点では、重要な意義があるだろう。
 そう、動物性の形成とも言えよう。攻撃性とも言えよう。
 しかし、その後、精神力学のベクトルが交替して、いわば、陰ベクトルが主導化すると考えられるのである。
 陽から陰への転換である。陽エネルギー(陽の氣)から、陰エネルギー(陰の氣)への転換である。 
 陽主導のときは、陽の中の陰の要素が比較的少ないと考えられる。つまり、陰は強い抑圧の対象にはならないと考えられる。
 敵が弱小ならば、攻撃するに及ばないというような感じである。
 しかし、陽主導でありながら、次第に陰陽生成は、陰の力を強化すると考えられる。そして、ついには、陰主導へと転換するということになる。
 とまれ、陰の力の強化に対して、陽自我、父権自我は、否定、抑圧の力動を行使し出すと考えられるのである。
 そして、この抑圧力学において、反動として、精神暴力性が生まれると考えられる。抑圧以前においても、精神暴力はあるが、それは、反動ではない。能動で ある。あるいは、ストレートな能動性である。もちろん、攻撃性もあるが、反動のような反射性はないのである。つまり、反動は、主体的ではなく、他者反応 で、受動である。
 さて、この反動反射性をもつに至った陽自我・父権自我であるが、この反動反射性こそが、暴力・攻撃的衝動性、発作性、自動性(オートマティズム)をもつと考えられる。
 このオートマティズムを父権自我・陽自我はコントロールできないだろう。
 何故なら、無意識の内に、反動反射的暴力衝動性が発現するからである。自然の一つの理なのである。
 しかし、これを剥き出しにすれば、ホッブズの万人に対する万人の戦争状態になるのである。
 ここで、仁倫、叡知、文化の問題が出てくるのである。
 人類は、父権化する以前の母権制において、陰陽調和の文化をもっていたと思われる。それは、男性がもつ攻撃性を鎮める叡知的システムであったと考えられる。
 しかし、父権制が形成されると、攻撃・暴力性が剥き出しになってくる。しかし、そのとき、社会統制のための何らかのルールが形成されたと言えよう。法律であり、共同体の掟、宗教等である。
 しかしながら、近代になると物質主義が中心化して、父権制を統御する文化システムが崩壊する。
 この精神統御システムの崩壊において、上記の父権自我・陽自我の攻撃・暴力的衝動・発作が生まれるのである。
 闇であり、魔であり、狂であり、である。闇・魔・狂である。
 近代は陽文化であり、陰文化を喪失している。(本当は、陰文化があるのであるが、陽文化に圧倒されている。陽文化主流であり、陰文化は傍流であるが、しかしながら、後者に未来があるのである。)
 陰文化が陽文化、つまり、父権自我、陽自我をコントロールする叡知をもつのであるが、それが、マイナーであるために、父権自我、陽自我はいわば、野放し、野性、放縦状態なのである。
 言い換えると、父権自我・陽自我は、自分の反動反射的攻撃・暴力性に無意識なのである。
 さて、ここで知性ないし理性の問題に触れると、父権自我・陽自我は言語能動性をもっているが、言語能動性自体は知性ではない。
 知性は他者、陰他者との相互関係から生まれると考えられる。他者、陰を肯定しないと知性ないし理性は形成されないと考えられる。
 しかし、父権自我・陽自我は、他者を否定・抑圧・排除・隠蔽するのであるから、知性は形成されないということになる。
 そう、言語能動性をもつので、知識はあるだろうが、知性は欠落すると考えられるのである。
 例えば、ある事態・事象に対して、父権自我・陽自我は、自我観念をある事態・事象に対して、抑圧的に提起するのである。
 その事態・事象自体を見るのでなく、自我観念を適用するのである。この自我観念が一見知性のように観えるが、実は、知識に過ぎないのである。
 これは、一種の妄想である。妄念である。そして、この父権自我・陽自我が強化されると完全に妄想・妄念の世界、つまり、狂気の世界に入って行くと言えよう。
 知性ないし理性から逸脱した妄狂魔の世界に入るのである。
そして、これが、今日の某国の支配・権力層の精神世界なのである。(参考:安倍ポツダム宣言否定、国民生活に死活的な影響が生じる!歴史的国際秩序への挑戦!山崎 雅弘氏 (05/24)  今日の物語F )また、比較的若い日本の女性(一部)の精神世界なのである。
某国の科学者が出鱈目なのも、この父権自我精神力学にあると言えよう。父権自我知識表象はあるが、他者的知性・理性が欠落しているのであり、暴妄狂魔化するのである。
 

父権自我の二項対立形式のオートマティズム力学:陽から陰への転移力学:陰衝動に対する衝動的二項対立

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
先に以下を書いたが、今一つ、直截性に欠ける。
 結局、二項対立の自動性の力学の明確化である。
 心理学者のユングは中年の危機を指摘していた。
 その考えを敷延するなら、精神プロセスにおいて、初めは、陽主導であるが、ある時点から陰主導に転換すると思えるのである。
 陰主導へと転換したとき、それまでの精神力学では対応できないと考えられる。何故なら、それまでは、陽のエネルギーが主導的であったが、そのとき、陰のエネルギーが主導的になるからだえる。
 つまり、陰が賦活されるのであり、そのため二項対立力学は、いわば、新たな挑戦を受けるのであり、抑圧していた陰が活性化するので、それに対抗して、陽の抑圧が強化されると考えられる。
 つまり、陰の賦活とは、陰エネルギーの力動化であり、そのため、陽は不自然な抑圧体制を構えると思えるのである。
 つまり、陰陽図で言えば、陽の中の陰が賦活され、情動化するが、それに対して、陽自我が情動的に抑圧、制圧を行なうと考えられる。
 陽の中の陰の衝動に突き動かされて、陽自我は、抑圧を衝動的に行なうと考えられる。この抑圧衝動こそが、二項対立のオートマティズム化・自動化の原因と考えられるのである。
 そう、知的コントロールではなく、衝動的抑圧なのであり、そこには、不合理性が主導的なのである。いわば、狂気である。
 これで、本件の解明は深まったと考えられ、ここで留める。
 

比較的若い日本女性の父権自我化の力学について

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史
日本の女性の高慢さの力学の分析は必要である。
 端的に病的である。病的な高慢さ、慢心さである。「うつ病」予備軍である。
 とまれ、分析を試みたい。
 他者性、陰他者性、差異がない。また、当然、ココロを抑圧するのである。
 明らかに、陽自我中心主義である。
 先に以下の画像を活用して説明した。
 

父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す


http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

陽の中の陰が陽自我の情動性であると見たのである。
 そして、陰(陰他者)の領域は抑圧されるのである。
 そう、問題にしたいのは、父権自我の自動性、機械的反射性、オートマティックな反射性である。
 二項対立性が自動化、反射化しているのである。
 他者に対して、二項対立的反応が反射的に発せられるのである。
 そこでは、他者の言への吟味はなく、ただ、否定、排除、威圧という反応があるだけである。
つまり、知性を欠いた二項対立の枠組みの反応なのである。二項対立形式の自動的反応なのである。
 このオートマティズムの力学を解明したいのである。
 とまれ、父権自我は二項対立の型があり、自我は他者に対して、優位であると独断形式(カント的に言えば、超越論的形式)があるのである。そう、一種の先験形式である。
 ここには、他者、差異がまったくないのである。
 さて、上の陰陽図であるが、ココロというものは、陽と陰との境界に存していると思われるのである。
 そして、父権自我にはこの境界が欠落していると思われる。
 正確に言うと、陽自我の同一性によって、この境界が排除されていると思われるのである。
 簡単に図示すると、

      陽自我
____↓↓↓____
 
     境界(ココロ)
___________

     陰他者領域

このような力学である。
 ↓は否定、抑圧、排除、隠蔽の力学である。
 そして、オートマティズムであるが、それは、上の陰陽図の陽の中の陰から発しているのではないだろうか。
 ここが自我情動-力動の発動源のように思えるのである。
 今は思考実験的に言うが、陰他者を抑圧しているので、その反動として、陽の中の陰が情動化、力動化するように思えるのである。そして、それが、オートマティズム化していると思えるのである。
 つまり、これは、端的に、自我の闇-魔-狂である。
 他者に対して、いわば、反射的に、この陽の中の陰が二項対立形式の暴力力学を発動させるように思えるのである。
 後でさらに検討したい。
| sophiology | 14:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
凹i陰*凸i陽⇒±1の±1について再考:±1ないし実軸は量子ではないか
久しぶりの投稿です。

JUGEMテーマ:学問・学校
 

凹i陰*凸i陽⇒±1の±1について再考:±1ないし実軸は量子ではないか


テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
 
先に(参照記事)、−1=重力、+1=光子に関して、それらは、純粋物質ではなく、高次元と物質との境界存在ではないかと述べた。
 しかし、実軸については、それを原子の領域ともとっているのである。つまり、−1=原子核、+1=電子である。
 だから、やはり、±1は物質、純粋物質、あるいは、量子ととるのが的確なように考えられるのである。
 また、これまで考察してきたように、実軸、重力、光子、原子、量子には、高次元の氣が浸透しているということになる。
 つまり、純粋物質と言っても、なんらかの氣が浸透しているということになる。ただし、生命体、自然現象になるには、氣における有機体的情報が必要である。単なる物質の場合は、そのような有機体的情報が欠けていると考えられる。
 とまれ、現時点で見ると、量子論というのは、陰陽ガウス平面における実軸の領域だけを扱っているのであり、虚軸の本来の氣の領域を対象にしていないということになる。
 しかし、量子の領域である実軸には、氣が作用するので、量子の「不思議な」現象が観測されるのである。
 例えば、先に検証された、光子の非局所的相関のような現象である。根本的には、量子の粒子と波動の二重性という現象である。(電磁波は、氣の物質的映像であると考えている。)
 とまれ、以下の実軸とは高次元と現象界の境界という視点は、それ自体は間違っていないと言えよう。
 そう、純粋物質について言えば、やはり、実軸の領域は純粋物質というよりは、量子的物質と見るべきだろう。あえて言えば、氣的物質である。あるいは、メディア的物質である。
 純粋物質はやはり、直近において見たように、±jklを純粋物質と見るべきであろう。
 以下、陰陽GPQ(ガウス平面ー四元数)図を上記の視点で書き換えてみる。


     虚軸(凸i*凹i):氣の領域
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP(霊)・・・・・・+1(光子) 量子領域
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸
 
       三次元現象空間領域


 陰陽ガウス平面/四元数世界図
 

思考実験:自然現象発生メカニズム:(凹i陰*凸i陽⇒)±1=⇒が原生命で、±jklが純粋物質

「図示すれば、=⇒±jklが宇宙や生命体である。ここに、太陽系や蔓植物が生成しているということになる。
 もう少し考えると、原生命である±1=⇒が±jklを帯びたときが、物質現象化するということではないだろうか。
 すると、物質、純粋物質とは、±jklということではないだろうか。
 これは、原生命の±1=⇒とはまったく別の存在である。
 氣ないしエーテル体とは、±1=⇒であるが、±jklは純粋物質ということになる。 」

***************************

参照:

陰陽ガウス平面の実軸とは高次元と現象界との境界ではないだろうか

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下にあるように、「・・・理論的には、±1が純粋物質である。そうすると、+1の純粋物質と−1の純粋物質があることになる。それらは何か。これまでの仮説からは、+1が光であり、−1が重力である。」と書いた。
 しかし、重力は物質なのだろうか。また、光も物質なのだろうか。物理学では、光子には、質量がないのである。
 物質ならば、質量はあるはずである。
 ということから、推測するに、重力や光は物質というよりは、高次元の氣と物質との境界存在ではないだろうかということが考えられるのである。
 そうならば、陰陽ガウス平面の実軸とは現象界、物質界というよりは、高次元の氣界と現象物質界の境界を意味するのではないだろうか。
 分かりやすく言えば、重力と光には氣が浸透しているのではないだろうか。
 今はここで留める。
| sophiology | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
思考実験:陰陽振動の導入:凹i√h√ν*凸i√h√ν⇒E=±hν=±mc^2

思考実験:陰陽振動の導入:凹i√h√ν*凸i√h√ν⇒E=±hν=±mc^2


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合
 

光エネルギー - Wikipedia

光エネルギー(ひかりエネルギー、 : light energy)とは、電磁波 の一種である がもつエネルギー を指す。単位はジュール (J)。光エネルギーは光に含まれる光子 の数と光子周波数波長 )によって決まる。

光子 のエネルギーはその振動数 によって決まり、以下のように表される。

E=h¥nu=h¥frac{c}{¥lambda}
h : プランク定数
E : エネルギー
ν : 振動数
c : 光の速さ
λ : 波長
****************************

E=mc² - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/E%3Dmc²
E = mc2(イー・イコール・エム・シーじじょう、イー・イコール・エム・シー・スクエアド)とは
、. エネルギー (E) = 質量 (m) × 光速度 (c) の 2 乗. の物理学的関係式を指し、質量と
エネルギーの等価性とその定量的関係を表している。アルベルト・アインシュタインにより
、 ...


****************************

陰陽方程式を物理学に接続するために、考えているが、とても難しい。壁にぶつかっているようである。
 今、思考実験として、プランク定数等を導入したい。次のように、作業仮説する。

陰陽方程式は凹i(陰)*凸i(陽)⇒±1である。
左辺にプランク定数をもつエネルギー式を導入する。
すなわち、

凹i√h√ν*凸i√h√ν⇒±hν=E

となる。Eはエネルギーである。
 だから、アインシュタインのエネルギー公式を入れると、

凹i√h√ν*凸i√h√ν⇒±hν=E=mc^2 ・・・α

となる。
 αの式であるが、これは、作業仮説的に、陰の氣の振動と陽の氣の振動の共振を意味すると考えたい(もっとも、思考実験である)。
 つまり、αの左辺は陰陽氣のエネルゲイア(活動態・現実態)の式となる。
で、右辺は当然、物質的エネルギーである。物理の領域である。
 これが、三次元空間、あるいは、四次元時空間で、生動しているということになる。
 とまれ、以上のように、陰陽氣に平方根の振動数を入れると、現象界がリアルに出現するように考えられる。
 問題は、光、日光、太陽である。これをどう捉えるのか。
 直観で言えば、原点=MP(Media Point)が太陽、日光、光である。
 氣であり、物質である。(正確に言うと、霊魂や神霊を内在超越しているだろう。)
 さて、αの式を整理すると、

凹i√h√ν*凸i√h√ν⇒E=±hν=±mc^2 ・・・β

となる。
 左辺が氣エネルギーであり、右辺が物質エネルギー、物理エネルギーである。
 そして、エネルギーは正のエネルギーと負のエネルギーがあることになる。(物理学で問題になっている、ダーク・エネルギーやダーク・マターは負のエネルギーに関係するのではないか。)
 とまれ、α、βの式は、もはや、陰陽ガウス平面だけでなく、四元数の空間三次元に関係すると言えるだろう。
 さて、βの式に注目すると、これは、氣が物質エネルギー、物理エネルギー、身体エネルギーを生成する式と言えるのではないだろうか。
 私が、森氣浴によって、元気になるというは、この式で説明できるのではないだろうか。森の氣は左辺であり、身体のエネルギーが右辺である。
 今はここで留める。


 

PS陰陽論から、氣的原子モデルを考える:序


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

これから本テーマを扱いたい。これは、一筋縄ではいかない。私自身よく研究しないといけない。
 とまれ、ベーシックな考えを言えば、陰陽方程式
凹i*凸i⇒±1において、−1が原子核で、+1が電子ではないかと推測する。


                     凸i虚軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸
                      |
                      |
                      |
                      |
                      |
                      凹i


 正負の符号が逆であるが、今はそのままにしておく。
 −1とは、陽凸iが主導・優位のときであり、陰陽は同一性化されると考える。また、陽は一(いつ)、点へと集約するので、原子核になると考える。
 それに対して、+1は陰凹iが主導・優位の場合で、陰陽調和である。これは、収縮ではなく、拡散である。故に、電子が相応しいだろう。
 直感では、電子の拡散にはフィボナッチ数列が適用できるのではないかと思うが、これは、確認しないといけないが、どうも違うようである。
 そして、原点=MP(Media Point)であるが、ここが原子核と電子をいわば結合させている領域ではないかと思う。
 中間子というものはこの性質ではないだろうか。
 また、+と−であるから、牽引するのであるから、エントロピー増大で、消滅するはずであるが、消滅しないのは、ネゲントロピー(逆・反エントロピー)が流入しているからと考えられる(この点の見方は、佐野千遙氏のものを借りている)。
 それが、陰陽極性の氣エネルギーである。つまり、凹i*凸iが作用しているのである。
 そうすると、すべての原子に気エネルギーが働いていることになる。思うに、半減期というのは、氣エネルギーが作用せずに、エントロピーだけの作用に関わるのではないだろうか。
 つまり、氣エネルギーが作用するネゲントロピーの場合と、エントロピーの場合の二つの場合があるということではないだろうか。
 また、思いつきであるが、常温の原子転換であるが、それは、複数の陰陽的有機体が原点=MPを介して、共振・共鳴したとき起る事態ではないだろうか。これはこれからの課題である。
 以上、問題提起である。

追記:原点=MPが原子核と電子の結合力ではないかと示唆したが、実は氣は一(いつ)のエネルギー(陰陽的二重性と陰陽一体性をもつ)であるから、氣において、原子核と電子は結合していると思われる。ただし、電子は、外部の電荷に牽引されることは当然である。
 思うに、やはり、氣的原子を仮定すると、氣的生命体情報(氣的生命体 イデア)が始めにあり、それが、氣的原子の有機体的結合を産出するのではないだろうか。初めに、氣的イデアありきで、その後生命有機体の産出のときに、有 機体的結合をしている氣的原子複合体があるのではないだろうか。
 初めに、氣的原子があるのでなく、気的生命有機体の産出において、氣 的原子複合体が生じるのであり、その後、氣的原子というものが、分析的=理論的に考えられるということではないだろうか。初めに、有機体総体があり、その 中に、氣的原子複合体があり、氣的原子、ないし、気的素粒子とは、分析的に、あるいは、仮想的に存するもので、現実的ではないのではないだろうか。
 ただし、有機体のエントロピー的解体過程において、氣的原子は分離されるだろうし、さらに、氣エネルギーが抜けて、純粋物質的原子になるだろう。それはただ、衰滅、消滅するだけとなる。
 
| sophiology | 02:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
三次元空間と螺旋現象:実軸が自然有機体軸ではないか:それが、螺旋形状でもあるのでは?

三次元空間と螺旋現象:実軸が自然有機体軸ではないか:それが、螺旋形状でもあるのでは?


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

resurrectionのブログ
 

(THRIVE Japanese) スライブいったい何が必要になるのか - YouTube


上図は、映画THRIVEに出てくる、アップル型の宇宙像である。
私はこれは、横にしたものを活用したが、今も活用したいと思っている。
 即ち、先に、フィボナッチ数列を利用して、等分割を考えてきたが、問題は、三次元空間形成、あるいは、四次元時空間形成なのである。つまりは、現象化の問題である。
 そして、これまでにおいて、原点=MPから三次元空間ないし四次元時空間が発出すると見たのである。
 そして、四元数を使って、実軸を時間軸等を見たのであり、さらに、自然有機体形成は、陰陽極性に拠るとしたのである。
 しかし、よく考えてみると、やはり、現象としての自然有機体が記述されていないと思われるのである。
 そこで、新たに考えて、±1の+1を自然有機体と見ることを思いついてのである。そして、それは、同時に螺旋形状と一体であるとするのである。
 そこで、上図のアップル像を活用したいのである。
 即ち、アップルの中心から白く柱のようなものが発出している。そして、その周囲には、螺旋が発生している。
 この白い柱を実軸+1と見るのであり、自然有機体、この場合には、蔓植物(朝顔や蔦等)を見るのである。
 両者は一(いつ)とするのである。
 これで、これまでの問題が解消するように考えられるのである。
 そうすると、これまで、実軸を時間軸としたが、新たに時間軸はどうなるのかということになる。
 今の感じでは、やはり、実軸を時間軸にしていいように思うのである。つまり、三次元空間化ないし四次元時空間化において、四元数を用いて、三つの虚数が 三次元を形成し、実数が時間次元を形成すると見るのであり、両者がいわば、一体・全体となっているのであり、且つ、実軸=時間軸において、自然有機体が発 現すると見るのである。
 しかし、牽強付会的な説明かもしれない。
 では、別の時間を考えるとどうなるだろうか。
やはり、時間は、陰陽軸=虚軸に見る方がいいのかもしれない。
 時間現象は、実軸の実数単位で計算されよう。しかし、時間本体は、現象内にあるというより、虚軸=陰陽軸にあると見るべきではないだろうか。
 つまり、虚時間と実時間があるということになるが、前者は時間本体、後者は時間現象である。
 今は二番目の説をとりたい。
 とまれ、そうすると、実軸はやはり、天地軸である。天は、+1の方向にあり、地は原点ないし−1の方向にあるのである。そう、原点=MPは地上・地表と見るといいだろう。−1は大地、地底、地核である。
 今はここで留める。
| sophiology | 01:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
秘数2から秘数3への転換力学:陰陽ガウス平面からメビウス的三次元空間ないし四次元時空間へ

秘数2から秘数3への転換力学:陰陽ガウス平面からメビウス的三次元空間ないし四次元時空間へ


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

フィボナッチ数列の1+1=2,1+2=3において、前者の2を陰陽対極性ないし両極性と見ることができる。二分割であるが、二つのものは一体・一(いつ)・onenessである。
 そして、後者の3であるが、これは三分割であるが、当然、三つの分割されたものも、一体・一・onenessである。つまり、先に述べたように、例え ば、三つ巴である。これは、神社の文様としてよくあるし、また、ケルトの渦巻文様(模様)にも出てくる。また、キリスト教三位一体論は、ここにベースがあ るだろう。

虹の国アイルランド - フラクタルな風

イメージ 1

イメージ 2


http://blogs.yahoo.co.jp/gabriella12366/folder/615517.html

 そう、陰陽極性から三相極性への展開は近接的と言えよう。
 この三相極性が、正四面体に通じると思えるのである。
 結局、2という秘数=陰陽極性の場合、原点=MPにおいて、四大原理が生じている。しかし、それは、まだ、原理であり、現象化していない。
 しかし、3という秘数=三相極性になると、原点=MPから、三次元空間が発出、発現、現象するのではないだろうか。
 ここで、四元数(しげんすう)が適切になると思われるのである。
 正四面体であるが、それは、ここで発現すると思う。何故なら、ここで、三次元空間化=立体化が起きるからである。それ以前の秘数2=陰陽極性の場合、平面化であり、一種のイデア様態である。内在的超越状態である。
 佐野千遙氏のメービウス構造=正四面体論は、ここに適用されるべきと考えられる。ここで、物質が問題になるからである。しかし、正確には、宇宙有機体や生命有機体が問題である。
 秘数3=三相極性で発現する三次元空間ないし四次元時空間(四元数なら、時間は実軸の±1であろう)であるが、それをどのように幾何学化するのかが、問題である。
 そう、ここで、螺旋形成の問題が入ってくるのである。
 今の閃きで言えば、実軸=時間軸が天地軸となり、それを基軸として、蔓のように、螺旋の巻き(螺旋巻)が形成されるのではないだろうか。
 ならば、問題は、螺旋の空間次元である。それは、三次元なのか、二次元なのか。
 先に、四元数の見たとき、実軸と虚軸の一つが重なる可能性を見た。そのように見るなら、螺旋巻の三次元は、その一つの次元が時間次元=実軸と重なるということである。
 しかし、それでいいのだろうか。
 それ以前に私は螺旋巻自体が三次元空間をもつ見ていたのである。どうも、今は、こちらの方を支持したい。
 そうならば、時空間の考え方を変える必要がある。今日、三次元空間ないし四次元時空間と呼ばれているものであるが、実は、捉えた方が間違っていることに なる。天地の垂直軸であるが、それは、空間ではなく、時間軸になるのである。そう、時間が空間化していることになるのである。そして、それをいわば、基軸 として、螺旋三次元が形成されるのである。
 これはどういうことだろうか。
 つまり、三次元空間は、四次元時空間とはズレがあるということではないだろうか。
 天地垂直軸=時間軸と三次元空間の一つの空間次元を重ねて見ていることになるが、実際は、そうではないのである。
 前者と後者はズレているのであるが、それを同一化させて見ていることになるのである。
 どう説明したらいいだろうか。
 いわゆる、三次元空間は間違っているということではないだろうか。三次元空間は、螺旋巻き形状にあるのであり、天地軸=時間軸がいわば、第四次元軸ではないのか。四次元とは、実は、目の前にあったことになるのである。
 言い換えると、第四次元軸を三次元空間の一つの次元と誤解していたことになる。
 そうすると、螺旋的空間三次元と天地的時間空間一次元の時空四次元空間があるということになる。
 かなり、常識的には、エクセントリックな見解になったが、今はここで留める。

追記:本稿の結論は再検討しなくてはいけないが、正四面体については触れたが、四大原理の展開について触れなかったので、一言を述べる。
 四大原理も、秘数2の陰陽極性(陰陽対極性・両極性)における原点=MPに潜在・内在しているが、それが、秘数3=三相極性へと展開すると、やはり、三次元空間化することになる。
 それで、それで、四大(地水火風)が現象化すると考えられる。しかし、それだけでなく、正四面体の正三角形と結びついて、4×3=12等分割が発現するのではないだろうか。
 つまり、三相極性の原理は原点では、正三角形であり、それが、立体化し、正四面体になると見るのであるが、その原点原理の正三角形と原点の四大原理が結 合して、12等分割宇宙になるのではないだろうか。正三角形3×四大原理4=12等分割である。この12等分割が、黄道十二宮、獣帯、あるいは、十二支等 になるのではないだろうか。また、一日の半分の12時間にも関係するのではないだろうか。
 とまれ、12等分割宇宙がマクロコスモス(大宇宙)であり、それが、人体の形成において、働いて、12等分割の影響したミクロコスモス(小宇宙)になるのではないだろうか。
 さらに太陽系の問題があるが、これは、課題にしておこう。
 しかし、一言予見を言えば、太陽、水星、金星、地星(地球)、火星、木星、土星までで、太陽系を考えると、7つ星がある。
 地球を中心にすると、内側、外側にそれぞれ、3つの星がある。だから、これは三相極性に関係するのではないだろうか。
 また、ちょうど、易の構造に似ているのである。上下にそれぞれ、三つの陰陽爻があるのである。即ち、上の卦(外卦)に三つの爻(こう)があり、下の卦(内卦)に三つの爻があり、合わせて、六つの爻があるのである。

上爻 外卦
五爻
四爻
三爻 内卦
二爻
初爻

易占について

http://www.din.or.jp/~itoh01/soft/ekisen.htm

 太陽系と易を関係させると、上の卦は地球の外側の惑星、火星、木星、土星で、下の卦は、内側の惑星で、太陽、水星、金星となる。
 さて、三相極性との関係で言えば、簡単に言えば、陽における三等分割と陰における三等分割の二つの作用が起るのではないだろうか。つまり、秘数2の陰陽 対極性・両極性が秘数3へと展開するとき、三相性が、陰陽それぞれにはたらいて、陰陽は三相性を帯びるといことではないだろうか。これは、三次元空間では なく、原点=MPにおいて、生じるのではないだろうか。つまり、いわば、陰陽三相原理化である。
 そうならば、ここには、二重のメビウスの帯が生起していることになる。陰陽そのものの、メビウスの帯、そして、三相原理(正三角形)のそれである。これについは、検討課題にしておく。(追 記:これは、陰陽2×三相原理3=6の原理かもしれない。これは、六つの爻と関係するかもしれない。ともあれ、上のいちばん右下のケルト文様の一つの円に ある三つの陰陽渦巻がこの意味かもしれない。三つの陰陽渦巻とメビウスの帯の関係が問題なのである。そう、単純に見て、陰陽メビウス構造と三つ陰陽渦巻の メビウス構造があり、全体で二重メビウス構造をもっているということでいいのではないだろうか。それは何を意味するのか。それは内在超越的メビウス構造と 外在現象メビウス構造の連動を意味しているのではないだろうか。もう少し考えたい。
 しかしながら、これでは、太陽系現象を説明できない。
 やはり、原点=MPの内在超越原理が現象化すると見るべきである。そうすると、原点=MPにおける陰陽三相原理が秘数3の段階において、現象化して、太陽系(7つの星)を形成するということになろう。
 以上、予見であるが、ざっと、秘数2から秘数3への展開において生じる陰陽対極性・両極性、四大原理、正四面体、等を基礎として、黄道十二宮(獣帯)ないし十二支、そして、太陽系(7つの星)の現象化の原理を考えてみた。
 また、少し触れたが、これは、人体形成も関係する。
 おそらく、秘数3への移行において、人体も形成されると見ていいだろう。黄道十二宮、太陽系の構造作用が人体形成にはたらき、ミクロコスモス(小宇宙)としての人体を構築すると考えられる。
 このときは、秘数5が関係しよう。つまり、フィボナッチ数列2+3=5の秘数5(ピュタゴラス学派の神聖数)である。これが、ダ・ヴィンチ・コードで有名な、ウィトルウィウス的人体図における円に内接する正五角形となる。。これは、黄金比を形成するのである。
 そう見ると、人体形成は、黄道十二宮や太陽系の形成の後に生じたように考えられよう。つまり、秘数3から秘数5への展開において、人体形成が成されたと考えられるからである。

参照2:

ウィトルウィウス的人体図 - Wikipedia



 

ヴィンチのウィトルウィウス的人体図と黄金比 - 名古屋工業大学

www.crl.nitech.ac.jp/~ida/education/VitruvianMan/index-j.html
2012年6月18日 ... レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる「ウィトルウィウス的人体図」がどのように意図
されたものかについて調べました。 ダ・ヴィンチ ... 2003 年に出版されたダン・ブラウンの
ヴィンチ・コード」という小説で取り上げられて有名になりました。
 
| sophiology | 13:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
凹i*凸i⇒±1=±lmn:陰陽極性=虚数=時間は原点で実数=四元数的三次元空間を発現する

凹i*凸i⇒±1=±lmn:陰陽極性=虚数=時間は原点で実数=四元数的三次元空間を発現する


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合
 
陰陽方程式凹i*凸i⇒±1において(今は、両界曼荼羅方程式はおいておく)、左辺凹i*凸iの陰陽極性は、時間を意味し、そして、右辺の±1の実数極性は、空間、三次元空間を意味するのではないだろうか。
 次元転換を意味する⇒であるが、そこにおいて、時間が空間を形成する力学がはたらくのであるが、それは、思うに、四元数(しげんすう:四元数 - Wikipedia )で記述できるのではないだろうか。
i^2 = j^2 = k^2 = ijk = -1
この四元数の基本式において、三つの虚数i, j, kであるが、これは、実は、陰陽極性凹i*凸iが⇒において、仮に、±ijkに変容し、そして、結局、±ijk⇒±1になるということではないだろうか。まとめると、

凹i*凸i⇒±ijk⇒±1

ということになる。
 言い換えると、凹i*凸i⇒±1の⇒には、⇒±ijkが内在しているということになる。
 とまれ、±ijkとは、三次元空間の言わば、原型(プロトタイプ)であり、まだ、物理的三次元空間にはなっていないと思われる。
 三次元空間として、現象するには、±1になる必要があるだろう。

否、今、ふと想起したことであるが、以上のようではなく、

凹i*凸i⇒±1=±ijk

が正しいのではないか。
 つまり、右辺の±1=±ijkは、正に、物理的三次元空間現象を意味しているのではないだろうか。
 そう、左辺凹i*凸iの陰陽極性が時間であり、右辺の±1=±ijkを空間(三次元空間)と読むのである。
 ポイントは、現象において、左辺凹i*凸iの陰陽極性=時間が当然、作用・活動していることである。それが、三次元空間現象の生成消滅を発動させていると考えられるからである。
 すると、陰陽極性凹i*凸i=時間であるが、これは、現象、三次元空間現象において、内在し、且つ、超越して、存在すると言えよう。つまり、陰陽極性凹i*凸i=時間とは、内在超越的存在であるということである。 
 このように見ると、時間と空間の哲学・科学的問題が解明されるのではないだろうか。
 そう、ハイデガーの存在論も、これで、説明できよう。ハイデガーの難解な『存在と時間』であるが、以上のように、陰陽極性凹i*凸iを時間存在すれば、 そして、±1=±ijkを空間存在とし、それに、時間存在が内在超越すると見れば、世界内存在も明快になろう。これについては、別に論じたいが。
 そして、また、氣学、氣論もより哲学=科学的に解明されるだろう。つまり、氣の本質は時間存在であり、それは、空間現象するということである。そして、その空間現象、あるいは、時間空間現象とは、自然現象であり、それは、根本的には、生命現象であるということになる。
 最後に、先に仮説した両界曼荼羅方程式凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1であるが、それは、上記から以下のように書き換えられる。

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±ijk

である。
 そう、精神・霊極性凹I*凸Iの精神・霊(スピリット)であるが、それも、現象しているのであるから、やはり、内在超越存在である。つまり、存在とは、二つの存在があるのである。
 精神・霊存在と氣的生命時間存在である。
 思うに、精神・霊存在と時間存在の関係はどうなるのだろうか。
 両界曼荼羅方程式から、精神・霊存在が時間存在を形成するのであるから、精神・霊存在とは、超時間存在である。
 超時間存在とは、何だろうか。
 それは、原時間、元時間である。つまり、非時間である。つまり、永遠である。精神・霊界は、永遠界である。

追記:±1=±ijkであるが、右辺は三次元空間であるが、左辺は物理的極性を意味しているのではないだろうか。電気の±極性であり、磁気のNS極性ではないだろうか。

追記2:虚数の表記が混乱している。陰陽極性の凹i*凸iと四元数のi, j, kのiが同じになっている。
これは、陰陽極性の虚数を訂正して、Iにすれば、いいだろう。即ち、凹I*凸Iである。
すると、玉突きで、精神・霊極性の超虚数であるが、これまで、Iにしたが、永遠のeternityから、Eか、あるいは、Iより以前のHにするか、あるいは、最初のαにするか、等である。
とりあえず、αにしよう。すると、両界曼荼羅方程式は、

凹α*凸α⇒凹I*凸I⇒±1=±ijk

となる。
しかし、ijkを変えてもいいのである。すなわち、ijkをlmnにするのである。すると、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±lmn

となる。
| sophiology | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
生命と物質:死と生命:−1が闇・死で、+1が光・生:西洋文明の闇とロシア文明の光
生命と物質:死と生命:−1が闇・死で、+1が光・生:西洋文明の闇とロシア文明の光

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

これはまったく思いつき。
陰陽方程式は陰凹i*陽凸i⇒±1である。
いちばんの問題は、±1なのである。この解釈の問題で、結局、PS理論は瓦解したのである。
私は+1は陰陽調和の結果と見ている。つまり、植物世界である。螺旋である。
しかし、−1は、陽が傾斜した場合に思える。
どうも、これが、動物世界的なのではないだろうか。
もし、そうならば、 陰陽方程式陰凹i*陽凸i⇒±1は植物世界と動物世界の両方を表現していることになる。
直観では、動物世界は、より物質的であり、植物世界は精神的である。
ずいぶん昔のKaisetsu氏の解釈に拠れば、+1が光であり、−1が闇である。
問題は身体である。+1の身体と−1の身体があることになるのではないだろうか。
そう、+1は精神的身体、氣的身体と言えよう。そして、−1は、物質的身体、無機的身体と言えよう。
しかしながら、前者へ進化していると考えられる。
とまれ、前者は植物的セクシュアリティであり、後者は動物的セクシュアリティである。
氣的性と物質的性である。
おそらく、これから、前者が進展するわけである。

追記:−1を物質的身体、無機的身体と見ていいか問題であるので、これは、無しにする。
やはり、+1が光、つまり、日光・陽光であり、−1が闇ではないだろうか。思うに、闇という実体を認めるべきではないだろうか。
以前、−1をダーク・マターにとったことがあるが、確かに、実体の闇をダーク・マターにとることは考えられる。
もっとも、そうすると、新たに議論を展開させないといけなくなる。だから、実体の闇をダーク・マターと見るというのは、置いておく。
今は、発想の段階に留めるが、+1が生命ならば、−1は死なのではないだろうか。
生命があれば、死があるのである。死は物質の力、エントロピーの力ではないだろうか。有機体解体の力、無機的な力である。
それで、死の力は実に必要であろう。これは、解体力であるが、解体力とは、排出と通じるのではないだろうか。排出がなければ、生命は成り立たないのである。
だから、生命と死は均衡していると言えよう。
そして、それが、植物的世界・自然ではないだろうか。
しかし、人間の場合、死の力が優位になったのではないだろうか。とりわけ、父権主義において。
大脳の発達(概念知の形成:観念・理念とは異なる)は、生命(陰陽調和氣)を否定しているのではないだろうか。そう、−1は左脳であろう。そして、+1が右脳であろう。
そして、資本というものも、−1だと思う。死の力である。
これは、量的な解体力であり、自然生命世界を破壊するのである。
西洋文明は死の文明である。それに世界が支配されてきたのである。
しかし、今や、ロシアが世界を主導するような立場になってきたのである。ロシアは、半分、西洋であり、半分、アジア、東洋である。
思うに、ロシアのアジア・東洋的要素が死の西洋文明に対抗するのである。そう、アジア・東洋的要素とは、私見では、植物的生命性である。陰陽調和性である。
また、それは光、日光・陽光である。太陽である。
世界は、闇・死に傾斜し過ぎたのである。物質的解体力に染まり過ぎたのである。
振り子を光・生へと揺り戻すときであり、そのような時代に移行していると言えよう。
さて、最後に日本の闇についてであるが、これは、極めて深い闇である。日本父権民族は闇の民族であり、光を知らないのである。そして、日本母権民族は、自己文化の創造性を喪失しているのである。頽廃しているのである。
それ故に、闇の力に対して、無力なのである。
日本母権民族の文化とは端的に、氣の文化である。植物的文化である。これに目覚める必要があるのである。
| sophiology | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
氣の捉え方:氣の気付き方:氣が心身の本体である:お釈迦様の掌の内にあるようなものだ

JUGEMテーマ:学問・学校
 

氣の捉え方:氣の気付き方:氣が心身の本体である:お釈迦様の掌の内にあるようなものだ


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性
 
氣は誰でも本来備えていると思うが、氣の存在に気付かないことがほとんだと思う。
 私のことを考えると、子供の頃からずっと氣を感じてはいたが、気付かなかったのである。
 気功の真似事を、四半世紀前にやってみたが。確かに、氣らしきは感じたが、あやふやだった。
 はっきり、氣の存在に気付いたのは、東京に20年以上住んでいて、農村地帯にある実家に、介護でもどって、部屋にいたときである。部屋の空気に東京にはないものを察知したのである。
 これは何だと思った。何か部屋にあるのである。部屋の中になにか充満しているものがあるのである。
 これが氣ではないかと思ったのである。そして、その後、氣を意識するようになったのであり、経験的な確認作業をするようになったのである。
 今では、森氣浴する中で、森の氣を感じるようになったのである。
 思うに、ずっと、東京暮らしをしていたら、氣の存在に気付かなかったと思う。東京という氣のない空間と農村地帯の氣に満ちた空間のギャップによって、気付いたと思う。
 そう、逆に、農村地帯だけに住んでいたら、氣があるのが普通であるから、氣には気付かなかっただろう。
 また、日本語には、気が有り過ぎて、逆に、気に盲目なのだろう。
 しかし、一般的に、氣に気付かないのは、認識論から説明できる。自我的思考(利己主義的思考)をすると、氣を排除することになるのである。あるいは、氣を抑圧すると言ってもいいだろう。
 だから、近代的自我思考あるいは近代合理主義が支配すると、氣はあっても、排除して、無意識化してしまうのである。(肚の形成であるが、これは、氣を肚に降ろすことかもしれない。)
 話は少し飛ぶが、ハイデガーが『存在と時間』の中で、世界内存在とは、気遣いのようなことと言っていた。
 確かに、気遣いは、社会生活における氣の働きだと思う。しかし、それは、形而下的で、氣のもつ形而上性は失せている。
 朱子の理気論の氣も形而下的である。
 でも、どうして、形而上性が失せてしまうのか。
 氣が励起されたとき、明らかに、形而上性が生じるのであるが、それは、一時の非日常経験として捉えられてしまい、平静時の氣には形而上性はないと思ってしまうのではないだろうか。
 私は森氣浴経験を重ねることで、氣の形而上学性の確認をし続けている。

追記:結局、灯台下暗しである。氣が空気のように心身に大気(自然環境における)に充ち満ちているので、つまり、有り過ぎて、気付かないということのように思える。
 それに近代合理主義が加わったので、尚更になったと言えよう。 
 そう、言い換えると、いわば、お釈迦様の掌の内にいるので、お釈迦様=氣に気付かないと言えよう。

追記2:日本の支配層・権力層は、父権民族で、利己主義であるので、氣が排除されて、国民への気遣いがないのである。
 また、母権民族の国民は氣がいいので、支配層の邪氣に気付かないとも言える。
| sophiology | 13:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
陰陽からのフィボナッチ数列ベクトル的生命現象形成の力学

JUGEMテーマ:学問・学校
 

陰陽からのフィボナッチ数列ベクトル的生命現象形成の力学


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合
 
以下の図1と図2を念頭に次のことを読んでいただきたい。
 

             図1




                   虚軸(陰陽軸)
                     陽凸i
                      |
                      |
                      |
                      |
−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
                      |
                      |
                      |
                      |
                     陰凹i


          図2


図1のフィボナッチ数列(ベクトル)の螺旋は意味深長である。
 これをわかりやすくするため、弦巻植物や樹木の生長曲線と見るといいだろう。螺旋を描いて、

0+1=1⇒1+1=2⇒1+2=3⇒2+3=5⇒3+5=8・・・

となる。(等号もベクトルでいいかもしれない。)
 例えば、1本の芽が出、2本の双葉となり、さらに芽が出て、3本となり、そして、例えば、5本の枝が出て、五弁の花が生まれて等々と読める。
 問題は、図2と図1を関連させることである。
 図2のガウス平面はいわば、イデア界で、ほぼ不可視界である。物質科学では、ここは存在しないと見ている。ただ、実軸は日光軸であり、日光は当然可視である。
 結局、図2は現象は、陰陽が日光、時間を介して、次元変換したものということを意味する。
 フィボナッチ数列の0+1=1であるが、0(ゼロ)は、図2のガウス平面ならば、原点(MP:メディア・ポイント)と見て、左辺の+1は、ガウス平面の実軸の+1と見られないだろうかということである。(思うに、0+1であるが、0が陰陽イデア情報であり、+1がエネルギー、日光エネルギーと見られないだろうか。そして、0+1=1ないし0+1⇒+1の右辺の1ないし+1が生命体ではないだろうか。
 そうすると、以前のPS理論の自己認識方程式凸i*凹i⇒+1が再び、使用できるのではないだろうか。
 この場合、左辺の*は積(掛け算)を意味するのである。もっとも、PS陰陽論では、*は90°回転を意味するのであり、陰陽方程式は凹i*凸i⇒±1であり、−1が右辺に入る点で、自己認識方程式とは異なるのであるが。
 いちおう、PS理論の自己認識方程式を、日光方程式と見ておき、PS陰陽方程式の中に組み込むことににする。即ち、90°回転は続くのであり、最初の90°回転で、日光が形成されるというようなことである。
 だから、根本の原動力は、陰陽の90°回転運動に存することになる。それが、いわば、不可視の原エネルギーであり、それが、現象を発現させているということになる。
 ただし、実軸=日光軸であるが、それは、実エネルギーなので、生成消滅するということになる。つまり、エントロピーが作用するということになる。
 それに対して、虚軸の陰陽であるが、それは、いわば、無限のエネルギーであり、反エントロピー的であるということになる。
 以上、ざっとであるが、陰陽ガウス平面とフィボナッチ数列螺旋を組み合わせてみた。

参考:尚、フィボナッチ数列螺旋は以下の図では、z軸=時間軸=天地軸に沿って、展開すると、いちおう考えたい。

氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html
 

この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
 そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。 
 そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
 これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
 結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。

****************************

参照:

仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11819109717.html

先に以下のように述べたが、補足すると、90°回転において、形成されるフィボナッチ数列であるが、単に等分割の数だけでなく、そこには、均等原理(原 則、法則)が働くのではないだろうか。即ち、たとえば、1+2=3の場合は、円を3つに等分割するような均等原理が働き、正三角形が形成されるということ になる。2+3=5の場合は、円を5つに等分割にする均等原理がはたらき、正五角形が形成されるということになる。
 均等原理という考え方は、無理のない自然な考え方だと思う。つまり、常に、全体の一(いつ)、統一の一(いつ)、つまり、円があるが、そこに各数列の数が生起すると、全体がその数によって等分割されるという均等原理、均等力学が作用するというのは、わかりやすいと思う。
 つまり、全体の一、統一の一の中の数列の数ということであり、全体が分子、数列の数が分母になるということである。
 後で整理したい。

追記:言い換えると、力の均衡原理とも言える。一(いつ)の力の場 において、ある整数が発生する場合、常に、全体の一(いつ)における整数であり、バランスをとって、等分割されるということである。つまり、全体の原理が 整数にはたらくのであり、全体の原理が整数を均等分離すると思われるのである。
 簡単に言えば、例えば、5という整数ならば、1に還元されて、五等分、五等分割されるということである。つまり、単位数の1に還元されるということである。
 あるいは、別の考え方をすれば、整数分のベクトルが生じると見てもいいだろう。円の中心に複数の等しいベクトルが生じるとすると、それは、当然、相互のバランスをとって、等分割するように、分離すると考えられる。つまり、均衡原理である。
 だから、フィボナッチ数列を数列を均衡するベクトルを見るといいだろう。3ならば、3つの等しいベクトルが中心から発生して、3等分割するということになる。角度は、当然、360°÷3=120°で分割されるのである。
 だから、フィボナッチ数列ベクトルである。

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

直近で、以下の図を参考にしたが、フィボナッチ数列の数であるが、これは、単なる量としての数ではなくて、等分割の等分数ではないかと思った。つまり、最 初の1は1分割せよ、とうことになり、それは、全体である。つまり、おそらく、最初に0(ゼロ)ないし原点があるのであり、0+1=1であり、これは、半 径1の90°回転である。次に、半径1をまた90°回転させると、最初の半径1と今度の半径1を加えて、1+1=2の半径ができる。この半径2は同時に2 等分割を意味するということではないだろうか。少し曲解的だが、1+1が二つの部分ではないだろうか。
 次に、半径2が90°回転すると、1+2=3となり、半径3が形成される。これは、1+1+1=3であり、左辺の1+1+1が3等分を意味するのではないだろうか。
 次に、半径3が90°回転して、1+1+3=5で、半径5が形成される。これは、同様に、1+1+1+1+1=5であり、左辺の1+1+1+1+1が5等分を意味するのではないか。
 以下同様である。
 このように考えると、等分割が形成されて、例えば、正三角形、正五角形、正八角形の形成が簡単に説明できよう。
 ピュタゴラス派がいちばんの神聖数の5であるが、これは、5等分割で説明できよう。そして、これが、黄金比と関係するのである。つまり、自然現象、有機 的現象ともっとも関係すると考えられるのであり、当然、人間(私は人間動植体とでも呼びたい)にも当てはまるのである。五本の指、頭と手足、合わせて、5 つの部分、あるいは、五臓六腑の五、等々である。
 以上の説明で、かなり、形態発生力学が論理的に説明できるようになっただろう。これまでとは、格段の差である。
 結局、フィボナッチ数列を導入したことが正解であったと言える。


この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。

検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html
| sophiology | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル

JUGEMテーマ:学問・学校
 

仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように述べたが、補足すると、90°回転において、形成されるフィボナッチ数列であるが、単に等分割の数だけでなく、そこには、均等原理(原 則、法則)が働くのではないだろうか。即ち、たとえば、1+2=3の場合は、円を3つに等分割するような均等原理が働き、正三角形が形成されるということ になる。2+3=5の場合は、円を5つに等分割にする均等原理がはたらき、正五角形が形成されるということになる。
 均等原理という考え方は、無理のない自然な考え方だと思う。つまり、常に、全体の一(いつ)、統一の一(いつ)、つまり、円があるが、そこに各数列の数が生起すると、全体がその数によって等分割されるという均等原理、均等力学が作用するというのは、わかりやすいと思う。
 つまり、全体の一、統一の一の中の数列の数ということであり、全体が分子、数列の数が分母になるということである。
 後で整理したい。

追記:言い換えると、力の均衡原理とも言える。一(いつ)の力の場 において、ある整数が発生する場合、常に、全体の一(いつ)における整数であり、バランスをとって、等分割されるということである。つまり、全体の原理が 整数にはたらくのであり、全体の原理が整数を均等分離すると思われるのである。
 簡単に言えば、例えば、5という整数ならば、1に還元されて、五等分、五等分割されるということである。つまり、単位数の1に還元されるということである。
 あるいは、別の考え方をすれば、整数分のベクトルが生じると見てもいいだろう。円の中心に複数の等しいベクトルが生じるとすると、それは、当然、相互のバランスをとって、等分割するように、分離すると考えられる。つまり、均衡原理である。
 だから、フィボナッチ数列を数列を均衡するベクトルを見るといいだろう。3ならば、3つの等しいベクトルが中心から発生して、3等分割するということになる。角度は、当然、360°÷3=120°で分割されるのである。
 だから、フィボナッチ数列ベクトルである。

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

直近で、以下の図を参考にしたが、フィボナッチ数列の数であるが、これは、単なる量としての数ではなくて、等分割の等分数ではないかと思った。つまり、最 初の1は1分割せよ、とうことになり、それは、全体である。つまり、おそらく、最初に0(ゼロ)ないし原点があるのであり、0+1=1であり、これは、半 径1の90°回転である。次に、半径1をまた90°回転させると、最初の半径1と今度の半径1を加えて、1+1=2の半径ができる。この半径2は同時に2 等分割を意味するということではないだろうか。少し曲解的だが、1+1が二つの部分ではないだろうか。
 次に、半径2が90°回転すると、1+2=3となり、半径3が形成される。これは、1+1+1=3であり、左辺の1+1+1が3等分を意味するのではないだろうか。
 次に、半径3が90°回転して、1+1+3=5で、半径5が形成される。これは、同様に、1+1+1+1+1=5であり、左辺の1+1+1+1+1が5等分を意味するのではないか。
 以下同様である。
 このように考えると、等分割が形成されて、例えば、正三角形、正五角形、正八角形の形成が簡単に説明できよう。
 ピュタゴラス派がいちばんの神聖数の5であるが、これは、5等分割で説明できよう。そして、これが、黄金比と関係するのである。つまり、自然現象、有機 的現象ともっとも関係すると考えられるのであり、当然、人間(私は人間動植体とでも呼びたい)にも当てはまるのである。五本の指、頭と手足、合わせて、5 つの部分、あるいは、五臓六腑の五、等々である。
 以上の説明で、かなり、形態発生力学が論理的に説明できるようになっただろう。これまでとは、格段の差である。
 結局、フィボナッチ数列を導入したことが正解であったと言える。


この1,1,2,3,5,8,…という数字の並びはフィボナッチ数列と呼ばれるもの。
隣り合った数字を足し合わすと、
 1+1=2、
 1+2=3、
 3+5=8、、
と続いていきます。

これらの数字の間隔は、5:8 ≒ 1: 1.618、という風に、黄金比率に近づいていきます。

上の図のように「らせん」にも黄金比率が存在するし、
360°の円も、黄金分割すると、約137.5°という黄金角になります。

検討問題:形態はどうやって形成されるのか:螺旋、フィボナッチ数列、黄金分割(黄金比)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818276963.html
| sophiology | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |

Calendar

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

Sponsored Links

Profile

Recommend

Search

Entry

Archives

Category

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode