Page: 1/2   >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | | - | - |
仮説:森の緑の葉、樹木の像には、陰陽共振(気界)が背後・背景(内在超越的次元)に存する

テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

葉の形、葉の緑の色、樹木の形状等を視覚したとき、主体の内面に陰陽共振が生起して、内的気が発生すると思われるのである。
全体学ホロロジー:主体学(主体同一性学と主体差異学):科学(サイエンス)は全体学の一部に過ぎない
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11525440009.html

先に以上のように述べたが、果たしてそうなのかかどうか検討したい。
 この問題はそれ以前に言及した事柄である。音楽の場合、聴いたとき、陰陽共振自体を感覚するので、音楽の気を感じるというようなことを言った。
 視覚の場合が難しいのである。しかし、音楽の場合と基本的には同じではないだろうか。音楽の場合、曲を聴いたとき、主体内部において、陰陽共振が起る(もっともいい音楽の場合であるが)。主体内部の陰と陽とが共振して、気を発生させるのである。
 視覚の場合、例えば、森の場合、映像は陽として捉えられるが、同時に、陰において、一体的に捉えられる。
 つまり、(美的な)映像においても、陰陽共振が背後・背景に作用しているのであり、それが直観・直覚されるということではないのか。
 音楽の場合は、音の陰陽共振であり、視覚の場合は光の陰陽共振ということになる。
 そうならば、音は陰音と陽音があり、光は陰光と陽光がある。そして、一般には、陰音や陰光は不可聴、不可視ということではないだろうか。
 言い換えると、生命ないし美的現象明在界は、背後・背景に、つまり、内在超越次元的に、陰陽共振暗在界をもつということになろう。
 今はここで留める。

追記:気であるが、気命と呼ぶ方いいのでは。生命も気命ということになる。気界が気命界になる。

追記2:感覚的次元とは結局、陰陽共振次元の同一性・明在的現象であり、例えば、自然の感覚的受容とは、自然の陰陽共振を暗在する同一性現象の受容ではないのか。
 つまり、自然の感覚受容とは、自然の本質である陰陽共振(気)の暗在 (内在超越的本体)を受容していることではないのか。自然とは気の本体を暗在とした現象であり、人間の陰陽共振を本性とする感覚(視覚)は、自然を対象と したとき、その自然対象の暗在である陰陽共振=気を直観・直覚・受容しているということではないか。
 わかりやすく言えば、自然は陰陽共振=気が本体であり、それが、可視 の現象と発現しているのであるが、同時に、暗在として、自然は存在しているのであり、人間の感覚(視覚)は、その陰陽共振=気的感受性によって、自然の本 質である陰陽共振=気を感受するということではないか。プラトン哲学的に言えば、現象のイデア=エイドスを触視(ドゥルーズの用語)・感触するということ である。(もっとも、直観・直覚されることもあるが、それは、希有な体験ではないだろうか。)
 今はここで留める。
| sophiology | 02:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
自我=超陽原理から太一的個原理への進化:仁命道と父権的精神:道徳心の喪失の力学的歴史

テーマ:仁・倫・道命美日本世界宇宙革命進化

森気浴散策を行なった後で、思考したいが、一言言うと、義は、本来、陰の世界にあるのである。陰主導陰陽共振(暗黒宇宙・暗黒太陽)に存するのである。それは、母権的精神である。ダーク・ゴッド(暗黒神)である。
 しかし、人類史において、今から1万年足らず前の時に(六千年前?)、父権的精神が誕生した。それは、陽中心主義である。あるいは、超陽主義である。自我の誕生であり、同時に、物質への傾斜が起ったのである。
 超陽主義・自我主義は、陰主導陰陽共振(母権原理、女性原理)を恐れるのであり、それを抑圧するのである。
 「知性」、「理性」、「道徳」等は、父権的で、そのような母権原理の抑圧を意味合いがある。
 そして、西洋文明において、この父権原理が極大化し、母権原理(暗黒精神)が失われる。母権原理とは、生命原理であり、気の原理である。
 超陽原理(父権原理)は、陰陽共振原理から超越しているのであり、それを憎悪するのである。
 それは、太一界(超イデア界)の、いわば、鬼子であり、おそらく、太一界となんらかの関係をもっているのかもしれない。否、切り離された特殊のもののようにも感じられる。
 しかし、宇宙天下の大道は、陰陽共振生命原理に存するのである。
 とまれ、今日の人類世界の超危機は、父権原理に存し、その克服は、陰陽共振原理を回復することに存すると考えられる。
 ところで、悪者にしている自我原理=超陽原理であるが、それ自体を否定しているのではなく、その原理の支配・破壊性を批判しているのである。
 それは、同一性主義原理であり、他者=陰を否定してしまうのである。
 しかしながら、不連続的陰陽(イデア)原理(また、改名したが)によって、自我原理=超陽原理の同一性主義を乗り越えることができるのであり、他者=陰を肯定して、陰陽共振精神を復活させることができるのである。
 では、このとき、自我原理=超陽原理はどうなるのか。それは、陰陽共振原理、他者原理、気的身体理性と結びついた、いわば、大理性原理になるのではないだろうか。あるいは、太一的個原理(太一個原理)である。後者の方の命名がいいように思えるが。
 今はここで留める。

追記:光と闇のメタファー(隠喩)であるが、宗教等の光であるが、それは、基本的には、父権原理に拠ると考えられる。つまり、父権原理が光のメタファーを主導的にしている。
 光は端的に陽原理に拠るのである。陽の光に対し、陰の闇があるのであるが、問題は、陰の闇と陽の光の対照となる闇の問題である。闇という言葉が共通になっている。
 混乱を避けるには、陰の闇という言い方を止めるべきではないだろうか。それは、光に対する闇ではないからである。
 あえて、強いて、言えば、陰光である。陽光に対する陰光である。
 だから、暗黒宇宙、暗黒太陽、暗黒神ではなく、陰光宇宙、陰光太陽、陰光神と言うべきかもしれない。
 しかし、陰主導(陰光主導)の陰陽共振界を指しているのであるから、陰陽共振光のようなものを考えなくてはならないだろう。
 陽原理の反射を光とするなら、陰原理の共振を陰光とすることは可能ではないだろうか。(今、ふと重力を思ったのであるが。陰光=重力?)
 作業仮説的に、陰光としておこう。

追記2:旧約聖書「創世記」の「光あれ」であるが、それは、陽の自己 反射による陽光と考えられる。不連続的陰陽イデア原理に拠れば、陰主導陰陽共振における陽化が生命物質現象を意味するのであり、陽化は光をもたらすのであ るから、「光あれ」は、生命物質現象を意味していると考えられる。
 しかしながら、そのとき、背後というか基礎・基盤・基体に存する陰主導陰陽共振=陰陽渦円は言及されていないのである。
 つまり、上記の考察に拠れば、陰光が言及されていないことになるのである。「光あれ」の「光」は陽光だからである。
 結局、「光」があれば、同時に、陰光があるのである。そして、おそらく、陰光の方がベースである。つまり、大陰光、太陰光である。その陽化として、「光」=陽光が生成すると考えられるのである。
 D.H.ロレンスがダークネス、ダークサン、ダークゴッドと呼んだものは、この大陰光、太陰光であると考えられよう。
 思うに、宗教等のメタファーの光であるが、それは、おそらく、大陰光=太陰光のメタファーとしての光である。陽光としての光ではないと考えられる。
 だから、例えば、マニ教の光であるが、それは大陰光=太陰光のことであるし、アフラマズダもそうだろうし、シュタイナーの説く太陽神=太陽霊もこれだろう。キリストもこれである。因みに、ヤハウェとは、大陰光=太陰光の陽化が極大化されたものではないだろうか。補 記:古代ローマ帝国において、キリスト教と競合したミトラ教・ミトラス教の太陽神ミトラ・ミトラスもこれであると言えよう。ただし、キリストとミトラとの 違いを確認すべきである。この違いは明快だと思う。イエス・キリストは、陰光太陽・大陰光・太陰光を「神懸かり」していたと思う。教父はロゴスの受肉と呼 んだが、ロゴスは混乱させよう。しかし、ロゴスは言葉ではなく、陰主導陰陽共振と見ればいいのである。そう、前ソクラテス期哲学のロゴス【例えば、ヘラク レイトス】もそうみるべきである。またヌースもそのように見るべきはないだろうか。
 
追記3:D.H.ロレンスの三位一体論(王冠論)であるが、ロレンスにおいて、父=陰、子=陽、聖霊=陰陽共振・太一となっていると思う。
 本来、父=陽、子=陰だと思うが、それが、転倒していると思う。これは、不連続的差異論以前の連続論の段階の、一種倒錯した事態ではないだろうか。これについては、さらに検討したい。

追記4:先に述べたが、日本人が太陽を赤く塗るのは、陰光太陽を直観しているからだと考えられる。陰光太陽とは正に、生命の根源であるのであり、先に述べたブラッド・サン(血の太陽)である。だから、天照大神も陰光太陽、大陰光=太陰光と見なくてはならない。
 思うに、陰光太陽=大陰光=太陰光は「実在」であるから、もはや、信じる云々の問題ではなく、感じる、直観する、直覚するという次元の問題である。つまり、ポスト宗教=ポスト信仰の時代である。

追記5:以上のように考えてきて、「霊(スピリット)」とは何かが合理的に判明してきたと言えよう。霊は陰主導陰陽共振、陰光、大陰光=太陰光である。陰陽共振の諸様態が諸霊であろう。それは、実在するのである。
 死者の霊であるが、それは、やはり、陰陽共振界・気界・イデア界に存するのではないだろうか。

追記6:自我は超陽であると言ったが、そうすると、他者は超陰になるように思える。これはもはや陰陽次元だけでは形成できないものと考えられる。
 つまり、陰陽を統括する次元を考える必要があるのである。それは、太一界であるが、なにか、超陰陽円のようなものが考えられるように思う。それが、陽を超陽、陰を超陰に変換するように思えるのである。

追記7:追記6のように考えると、本来の霊とは、超陰陽円の次元に存するように思える。陰陽円は生命イデアの次元のように思えるのである。人間の精神の次元はそれより上位=高位の次元に存するように思えるのである。
| sophiology | 14:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
不連続的陰陽論7次元世界:太一1次元+陰陽渦円2次元+時空4次元:陰陽共振気と螺旋的生命物質体
テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

後で詳述したいが、森の樹木を見て、螺旋を考えたが、それは、陽主導陰陽共振体である。しかし、不可視の世界には、陰主導陰陽共振体がある。それが陰陽円であるが、暗黒渦巻を形成しているので、陰陽渦円と呼ぶのが妥当だろう。
 そして、陰陽渦円と陰陽螺旋現象を即非様態と考えられる。パラレルである。可視の螺旋形態は同時に、不可視の陰陽渦円をもっていると考えられる。それは、内在的超越的次元に存すると考えられる。
 陰陽軸を考え、その中心を太一点(太極)とする。陰陽軸に直交する軸が考えられる。それをとりあえず、渦軸とする。陰陽軸と渦軸の平面に陰陽渦円が置かれることになる。しかし、この円盤は、不可視であり、内在的超越的次元(略して、内超次元)にあると考えられる。
 とまれ、内超次元の陰陽渦円と時空4次元における空間2次元は区別されなくてならない。
 前者は暗黒円であり、後者は現象平面である。
 気と言う場合、それは、前者の暗黒円、即ち、陰陽渦円に存していると思われる。現象螺旋を形成するのは、物質エネルギーであり、それは、気エネルギーで はないだろう。つまり、気エネルギーが物質エネルギーに変換して、現象螺旋が形成されていると考えられる。しかしながら、気エネルギーすべてが物質エネル ギーになるということではないと思う。
 陽主導の同一化によって気エネルギーが物質エネルギーになるが、陰主導の場合、気エネルギーはそのまま存していると考えられる。
 どうも、直観概念像(観念像)があいまいである。整理する必要がある。
 陰陽共振であるが、陽主導陰陽共振があり、それが、螺旋生命物質現象を形成し、陰主導陰陽共振があり、それは、不可視の渦巻、暗黒渦巻を形成する。
 だから、現象化とは、陽主導によるもの、簡単に言えば、陽化である。それに対して、暗黒渦巻化は陰化である。
 結局、陰陽力学は、二つの世界を同時創造するのである。
 しかし、陽化と陰化は非対称であると思う。陽化は実は、陰陽共振ではなく、陰陽同一性化である。あえて言えば、陰陽物質化である。
 本当の共振は、陰化にあると思われる。
 だから、陰陽共振の渦巻、渦円を螺旋にするのは、陽化である。
 このところは実に微妙である。陰陽渦巻、陰陽渦円を螺旋にすると言ったが、螺旋においては、陰陽渦巻のもつ陰陽共振はもうないのである。そこには、プラスとマイナスの力学が働いていると考えられるからである。つまり、物質現象がそこには存するということである。
 簡単に言うと、陰陽共振=陰陽渦巻(渦円)があり、陽化=同一性・物質化によって、螺旋体・螺旋生命物質体が形成される。
 前者は内超2次元に存し、後者は時空4次元(空間3次元)に存する。
 さて、問題の気であるが、それはどこに存するのか。
 内超2次元の陰陽共振=陰陽渦巻(渦円)には、当然、存すると考えられる。では、螺旋体・螺旋生命物質体に存するのか。
 螺旋体・螺旋生命物質体は物質界に存するのであり、物質界には、気は存しないと思う。
 あくまで、内超2次元に気は存すると思う。
 では、樹木や森の空気に気を感じるとはどういうことなのか。
 それは、樹木や森の空気には、気の根源である陰陽共振=陰陽渦巻(渦円)が内超(内在超越)しているので、主体の陰的感性を介して、気を感じるということではないだろうか。
 不可視の内超界=気界があるのであり、それを、樹木や森の空気を通して、感じるということではないだろうか。
 今はざっと言うが、MP(陰陽共振点)が樹木や森の空気があり、それを介して、陰陽共振=陰陽渦巻(渦円)を直感すると思われるのである。
 MP(メディア・ポイント=陰陽共振点)は、生命物質体のなんらかの中心に存するのであり、そこで気が発生していると考えられるのである。
 最後の問題は再検討したい。

追記:直観(暗黒心像)では、陰陽渦円は、現象界に重なっているのである。現象界の背後に存するのである。樹木の幹の背後に陰陽渦円は存し、その気が発動されているのである。
 言い換えると、陰陽渦円の陽化である螺旋体を肉眼では見ているが、同時に、その背後には、陰陽渦円が存して、気を発生させているのである。
 時空4次元を内在超越(内超)した不可視の陰陽2次元が存するのであり、それは陰の感性によって感ずるものなのである。
 視覚的には、螺旋は黄金比を形成しやすく、美的感覚を生み出すと言え よう。思うに、その美的感覚であるが、陰陽和合に拠るものであるが、果たして、螺旋形象が、陰陽共振気の美をもたらすのか、それとも、螺旋形象の美自体が 美的感覚をもたらすのか。言い換えると、螺旋自体が美なのか、それとも、根源の陰陽共振が美なのか。
 音楽、歌で考えよう。これは明らかに、陰陽共振が歌の美をもたらすのである。つまり、歌声を介して、陰陽共振を感じて、美的感覚を得るのである。歌声自体に陰陽共振があるのであり、それが聞き手の陰陽イデア(陰陽観念精神体)と共鳴して、美を感じるのである。
 では、視覚の場合はどうなのか。樹木、森を見て、そこに陰陽共振を感覚するだろうか。
 樹木、森の視覚には、陰陽共振が存しているのか。思うに、螺旋形態は、陰陽共振の現象体であるから、樹木、森の現象視覚には、陰陽共振は存していると見ていいのではないだろうか。
 おそらく、陰陽共振をエイドスと呼んでもいいのではないだろうか。あるいは、イデアである。つまり、陰陽共振イデアである。これが、歌を、また、樹木、森、花を現象させると考えられる。
 そうすると、結局、現象に内在超越的に陰陽共振2次元が存するのである。それは、気界=イデア界である。
 しかし、そうならば、太一界をどう見るのか。それは、イデアのイデアの世界である。超イデア界と言えるのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記2:シュタイナーが霊(スピリット)と呼ぶものであるが、それは、気=イデアと考えることができるのではないだろうか。霊と言うと、おどろおどろしいが、気=イデアと言えば、理念的であり、理念的合理性が感じられるだろう。

追記3:四元(しげん)数であるが、やはり、先に触れたように、

陰陽共振⇒四元数(i+j+k+1)

と見ていいと思う。
 メッセージボードに次のように記載してあるが、それもほぼ妥当と考えられる。

霊「数」、陽、陰を仮説して、また、陰陽共振を✇で表わし、以下のように公式化する。不連続的陰陽イデア論公式である。
✪✇✡⇒a + bi + cj + dk 
or
✪✇✡⇒+1 + i + j + k

+1が時間ー光ー物質の系列を意味し、三つの虚数は、空間三次元の座標軸を意味するように思われる。
 ⇒が陽化=同一性化=物質化である。
 しかし、陰陽共振を✇と しているが、それも妥当と考えられるが、キーポイントは、左辺は内在超越的2次元界=気界=イデア界(エイドス界)であり、それは、現象の背後・背景に潜 むということであり、それが、すべて右辺の四元数の現象界に表出するということではない。あくまで、不可視暗黒潜在界として存しているのである。
 ついでながら、ダークマター(暗黒物質)であるが、それは左辺の陰陽共振暗黒イデア界を考えるとより整合的に理解されるのではないだろうか。
| sophiology | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホロコスミクスと不連続的陰陽論(不連続的プラトニック陰陽共振論):東洋哲科学的グランド・セオリー
テーマ:グランド・セオリー:無双陰陽コスミクス

不連続的陰陽論とホロコスミクスはかなり重なる可能性を感じる。
 以下のメビウスの輪であるが、不連続的陰陽論においても、中核を担っている。それは、陰陽共振のことである。これが、メビウスの輪になっているということである。
 また、トーラス像も共通すると言えよう。私は数式に詳しくないので、それについてはほとんど言えないが、フィボナッチ数列が出てくる点も不連続的陰陽論と共通しよう。後者は、黄金比を自然造形に見ているからである。

追記:以下、図4であるが、「空」は、太一(太極)を、「無」は陰主導陰陽共振宇宙=暗黒宇宙=不可視宇宙を、そして、「実」は陽主導陰陽共振宇宙=光の宇宙(生命物資雨宇宙)=可視宇宙を意味するように思える。


全体的宇宙像−ホロコスミクス
『月刊ザ・フナイ』2012年4月号


全体的宇宙像−ホロコスミクス(※1)


藤原 肇(フリーランス・ジャーナリスト/理学博士)

・・・

ホロコスミクスとは


 宇宙のすべてを支配する「直線から曲線への幾何学的な発展の理論化」という壮大な課題を達成するためには、ホロコスミクスの概念をあらわすことのできる「メタ・サイエンス」という用語を使用せざるを得ない(図4)。
 物理学者の使う「宇宙」という概念は意味があまりに限定されている。しかしながら、ホロコスミクスでは「宇宙」というのは、普遍的な宇宙システムのサブシステムでしかないことが明らかになる。
 この概念は超科学的な革命をもたらすはずである。(#5; Chang K & Fujiwara H.; 1994)
 ホロコスミクスの概念では、点は数学的なゼロ次元をあらわしているだけではなく、この特異点の向こう側には広大な「無」が広がっていることを示している。
 さらに、普遍的なシステムの彼岸には「空」が存在する。「無」は道教のカギとなる概念であるし、「空」は仏教哲学の本質である。「現実世界」はこの2つの問に存在している。「無」と「空」の問にある「現実世界」が伝統的な科学の基礎であった。


resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!





【図4】ホロコスミクスをあらわした図。数理発想に基づいて概念化したホロコスミクスは、アインシュタインの相対性理論では排除されていた「超高速領域」を含むので、統一の場を考えるためのアプローチとして有効である。




ミンコフスキーの「世界線」と「幽霊層の場」の排除


 1905年、アインシュタインは特殊相対性理論の論文を発表した。その3年後、ハーマン・ミンコフスキー(リトアニア生まれのユダヤ系ドイツ人数学者。 1864〜1909)は、「世界線」を「零円錐(ゼロえんすい)」のモデルを用いて定義し、アインシュタインの理論をより明快な概念図であらわした。
 しかし、アインシュタインーミンコフスキーモデルは光速を超える領域の存在を無視した。なぜなら、零円錐(ゼロえんすい)は、光速と同速度であるフォトン(光子=こうし)の世界線に限定されていたからだ。ちなみに、光速は30万km/秒である(図5)。


resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!


【図5】過去、現在、未来をあらわす「零円錐(ゼロえんすい)」。

・・・

ホロコスミクスは、「無」と「空」をそれぞれの極線として収縮−拡大運動を行い、フォトンの「世界線」を超えて、「現実世界」と「幽霊層の場」を形成する多次元の概念で構成されている。
 「幽霊層の場」と現実世界は、始まりと終わりがないメビウスの輪(※11)に統合されて考えられるべきである。このメビウスの輪こそ、未発見のものも含めた宇宙すべての「究極の素粒子」を発生させている原理である。


resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!

(尚、上画像はクリックすると拡大する)

ホロコスミクスの場の数式


 アインシュタインの一般相対性理論は、「場の方程式」を基礎にしている。これは演算子「G」が表わす。これをどの計量テンソル(※12)に適用する場合でも、Gを演算子として扱うことができる。
 するとGAx(アイシュタインテンソル)を得ることができる。この「場の方程式」は以下である。
 GAx=Mx.
 何も存在していない真空では方程式は以下になる。
 GAx=0
 重力場を支配する方程式も存在する。これを記述すると、物理学ではもっとも難解な10個の部分的な方程式になる。(#6; Synge, J.L.;1970)
 しかしながら、「幽霊層の場」には「場の方程式」は適用できない。「幽霊層の場」は自然の広大さそのものだからである。
 ここでは、メビウスの輪の不思議と統一性の特異点を見ることができる。「無」と「空」の間に発見できる現実世界は、以下のように表現できるホロコスミクスを構成する。
 【図6】は、ホロコスミクスの無限な発展を説明している。これは宇宙の基本原理にかかわる思想である。この原理こそ、宇宙の謎の法則を支配する原理である。


【図6】ホロコスミクスの無限な発展をあらわす式。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/funai201204.html
宇宙巡礼
| sophiology | 12:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
宗教の光とは何ぞ哉:太陽とは何か:暗黒太陽ダークサンが太陽神(お天道様、天照大神)である
テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

朝早かったので、もう寝ようと思うが、一言述べよう。
 宗教の光とは何か。これまで不連続的陰陽論の視点から見ると、根源は闇である。というか、不可視の世界である。
 そこには、光はない。
 そう、闇から光が生まれると考えられる。
 否、闇の宇宙があり、光の宇宙がある。平行している。
 否、光は闇を内包している。
  
眠くなったので、ここでいったん止める。

追記:D.H.ロレンスは、ダーク・サンdark sunと言った。不可視の太陽、暗黒の太陽である。そして、我々が見ている光とは、その背中に過ぎないと述べている(『てんとう虫』のディオニス卿の言葉)。
 不可視の太陽・暗黒の太陽とは、これまでの考察から、暗黒宇宙に相当するだろう。渦巻暗黒宇宙がダーク・サンに相当するのである。
 そして、可視の宇宙は、陽の同一性=物質化による宇宙である。陽が陰に自己を印刻しているのである。つまり、陰への自己反射としての可視宇宙である。これが、可視の太陽に相当しよう。
 陰を鏡とすると、その反射を見ているのであり、陰自体は見ていないのである。暗黒宇宙、暗黒太陽dark sunは見ていないのである。
 言い換えると、暗黒宇宙・暗黒太陽の表面の光・物質しか見ていないのである。そう、本体が暗黒宇宙・暗黒太陽であるのに、その表層の光・可視宇宙・可視太陽・物質現象しか見ていないのである。
 しかし、この暗黒は実は、光を超えた光ではないのか。黒々とした「光」ではないのか。
 私がかつて言った超越光、超光とは、それに通じるのではないのか。私は光に超越光、超光を感じると言ったが、それは何か。
 人間の知覚には、陰の知覚がある。無意識の知覚である。そこに暗黒宇宙・暗黒太陽があり、その闇の炎が陽の光に洩れているのではないだろうか。
 そう、思えば、若い頃、真夏の海岸でぎらぎら輝く太陽を見上げたとき、暗闇を感じた。それも、暗黒太陽の漏出ではないのか。
 この暗黒太陽こそ、宗教の本当の光ではないだろうか。通常の光ではないはずである。キリストの光も暗黒太陽ということになろう。
 では、太陽とは何かという問いに答えてみよう。
 太陽は、暗黒太陽の陽的反射ではないだろうか。暗黒太陽の光の表面ではないだろうか。
 明るい太陽の本体は暗黒太陽ということになる。
 では、暗黒太陽dark sunを知覚できるのか。あるいは、それをなんらか感じることはできるのか。
 ダーク・サンは生成・生命の根源である。それは、なんらか直感できるのではないだろうか。
 そう、宗教の原始形態である太陽崇拝、太陽神信仰であるが、それは、ダークサン、暗黒太陽崇拝ではないだろうか。キリストはダーク・キリスト、暗黒キリストということになるだろう。天照大神も天照暗黒大神だろう。
 仏陀の光も暗黒太陽の「光」だろう。
 ロレンスはダーク・ゴッド、暗黒神と言ったが、その通りだろう。暗黒が本当の光なのである。
 
光は暗く、
闇は明るい

そのようなことを19才のとき私は言ったが、それは正鵠を射ていたと考えられる。
 以上のように本件を解明した。

参照:

THE LADYBIRD - Project Gutenberg Australia

'This is what I was taught. The true fire is invisible. Flame, and the red fire we see burning, has its back to us. It is running away from us. Does that mean anything to you?'

'Yes.'

'Well then, the yellowness of sunshine--light itself--that is only the glancing aside of the real original fire. You know that is true. There would be no light if there was no refraction, no bits of dust and stuff to turn the dark fire into visibility. You know that's a fact. And that being so, even the sun is dark. It is only his jacket of dust that makes him visible. You know that too. And the true sunbeams coming towards us flow darkly, a moving darkness of the genuine fire. The sun is dark, the sunshine flowing to us is dark. And light is only the inside-turning away of the sun's directness that was coming to us. Does that interest you at all?'

'Yes,' she said dubiously.

'Well, we've got the world inside out. The true living world of fire is dark, throbbing, darker than blood. Our luminous world that we go by is only the reverse of this.'

'Yes, I like that,' she said.

'Well! Now listen. The same with love. This white love that we have is the same. It is only the reverse, the whited sepulchre of the true love. True love is dark, a throbbing together in darkness, like the wild-cat in the night, when the green screen opens and her eyes are on the darkness.'


http://gutenberg.net.au/ebooks02/0200821h.html

 
| sophiology | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
作業仮説:陰は内臓情報を、陽は頭脳情報を内在する:陰=他者=肚を肯定して、陽=自我=頭の独裁から脱却する:気的身体理性の形成の最重要性

作業仮説:陰は内臓情報を、陽は頭脳情報を内在する:陰=他者=肚を肯定して、陽=自我=頭の独裁から脱却する:気的身体理性の形成の最重要性

 

思うに、陰が内臓神経系を、陽が頭脳神経系(脊髄神経系)を形成する「イデア」ではないだろうか。先の考察【二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515380980.html
】をミクロコスモスに適用すれば、陰主導陰陽共振宇宙(暗黒宇宙・不可視宇宙)が内臓神経系に、陽主導陰陽共振宇宙(光の宇宙・可視宇宙)が頭脳神経系(脊髄神経系)に結びつくことになる。

 思うに、両宇宙それぞれに、イデア情報があると思われる。簡単に言えば、陰イデアであり、陽イデアである。

 (今想起したが、空海の両界曼荼羅であるが、胎蔵界曼荼羅が陰イデア、金剛界曼荼羅が陽イデアに関係していると単純には思うが、少し違うような感じもある。)

 今述べたいのは、情報、イデア知の問題である。それが、生命宇宙の形態を構成する根源知であると考えられるからである

 陰イデアと陽イデアという言い方は、二元論的なので、陰陽イデアと陽陰イデアにした方がいいだろう。陰陽イデアとは、陰主導陰陽共振を、陽陰イデアとは陽主導陰陽共振を意味する。(あまりよい用語ではないが、とりあえずそうする。)

 結局、陰陽イデアは気的有機体を構成し、陽陰イデアは生命物質体を構成するのではないだろうか。

 そして、前者は内臓神経系に関連し、後者は頭脳神経系(脊髄神経系)に関係するということではないだろうか。

 ここで大胆に作業仮説すると、陰主導陰陽共振=陰陽イデア⇒気的有機体⇒内臓神経系のミクロコスモスは、太陽系マクロコスモスに対応するのではないだろうか。

 しかし、問題は微妙である。陰主導陰陽共振は渦巻暗黒宇宙であり、それは、可視宇宙ではないからである。

 だから、徹底して二重に考察する必要があると思われる。つまり、不可視宇宙系と可視宇宙系である。だから、ミクロコスモス=マクロコスモスもそのように二重に見るべきである。

 だから、内臓神経系「宇宙」を考えるとき、それは、あくまで、不可視宇宙の問題であり、頭脳神経系(脊髄神経系)「宇宙」は可視宇宙に関係するということになる。

 しかし、先の検討から、前者の物質体として後者があると言うことであり、前者がエッセンス、後者が現象体と見ることができよう。言い換えると、気的宇宙と生命物質的宇宙の関係である。

 さて、ここで自我を考えると、それは、同一性中心主義であるから、陰陽イデア体である霊魂を阻害すると考えられる。端的に言えば、陽中心主義なので、陰が阻害されるのである。そのために、内臓神経系だけでなく、頭脳神経系も阻害されるということになるのではないだろうか。

 カント哲学で言えば、頭脳神経系は超越論的形式である。これは、悟性=知性の形式であるが、自我によって、陽が陰を否定するようになるので、陰への刻印としての陽の悟性=知性が阻害されると考えられるのである。

 つまり、陽によって陰を否定することは、他者が阻害されるのであり、そのため、陽の「知」は現実離れしたもの、虚妄・妄想・錯誤したものになると考えられるのである。

 結局、科学的精神も、自我をコントロールできない限り、自我に支配されてしまい、悪魔的に利用されてしまうのである。(自我はルドルフ・シュタイナー的に言えば、アーリマンである。)

 とまれ、以上から簡単に、陰陽イデアと陽陰イデアについて触れたに過ぎず、より具体的に検討しなくてはならない。

 最後に一言付け加えれば、現代人類にとって、陰の最重要性を確認する必要がある。陽=自我の支配が悪魔的破壊・狂気をもたらしているからである。陰=他者を積極的に肯定することによって、陰陽共振を、意識的に、賦活させる必要があるのである。そう、わかりやすく言えば、陰は内臓、肚である。肚の主体性が必要なのである。

 しかしながら、正確に言えば、肚を基盤にしつつも、気的身体理性の形成こそが、最重要なのである。それにより太一と共鳴して、宇宙全体と響き渡ることができるのである。コズミック・シンフォニーの誕生である。

 
| sophiology | 05:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
PS理論から不連続的陰陽論へ:不連続的陰陽論の世界をいかに概念図化するのか

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515380980.html

先に以上のように述べたが、この世界をどのように作図すべきか。
 次の概念図の立体座標を参考にしよう。

無双PS原理三次元世界:Ver4.1>
                 

               虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
                                
          超越軸z軸:太極・霊界      
                         
                       
               |      
 供物質認識       |         機頭
               |  
               
−1__←重力波_MP・胸_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我       /              天・個
               
掘ф               検Ю鎖税Ъ院丙嫁Ъ院
              
               
陰・凹i・空間形式    
・他者           

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11324260617.html


今の図とだいぶ違うが、三次元に注目したい。
 z軸とy軸の平面に陰陽円(陰陽共立)がある。そして、太一は、z軸の原点(MP)ではないだろうか。それとも、z軸の方向なのか。
 次に、螺旋的生命物質現象であるが、それは、思うに、四元(しげん)数的に発現するとみる。とまれ、x軸のプラスが樹木的垂直方向である。これはこれまでの考え通りである。これは、先の以上の考察では、陽主導による陰陽共振である。
 問題は、陰主導による暗黒渦巻(宇宙)の位置である。これをどう布置するのか。
 x軸のプラスの方向が螺旋的生命物質体の方向ならば、x軸のマイナスの方向はダークマターの方向と思われる。
 とまれ、x軸は物質、マターの方位である。しかるに、陰主導の暗黒渦巻は物質ではないのである。
 どうも作図が難しい。今のままでは、陰陽円と暗黒渦巻が重なってしまうようになるのである。
 思うに、ひょっとしたら、陰陽円と暗黒渦巻は一致してもいいのかもしれない。
 考えてみると、陰陽共立はまだ、円を形成していないのではないだろうか。陰主導の陰陽共振が陰陽円を形成するというのは考えられるし、それが、暗黒渦巻というのも考えられるのである。
 そう、そこで想起するのは、『老子』である。そこでは、玄牝(げんひん)が根源に存するのである。黒い雌であるが、それは、陰主導陰陽共振=陰陽円=暗黒渦巻に適合する表現ではないだろうか。
 そのように作業仮説すると、陰主導陰陽共振はz軸とy軸における陰陽円に存するということになった。
 『スライブ』におけるトーラス像で言えば、やはり、真ん中の渦巻の存する円が陰陽円であり、渦巻は正に、暗黒渦巻と考えられる。
 しかしながら、陰陽円は同時に陰陽メビウスでもあろう。
 とまれ、以上から不連続的陰陽論の世界図は明快になったと言えよう。

 

resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!

 

resurrectionのブログ: JaponAsia GreatE AwaKleaning!


参考:
Tue, October 30, 2012

拡大ガウス平面路線VS四元数路線:時空軸一次元+空間二次元VS時空軸一次元+空間三次元

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論 無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウス
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11392233889.html

また、揺り戻しで、四元数路線の方がいいように思える。ただし、実軸は、時空軸=天地軸である。
 そして、弦巻植物は、それを中軸にして、螺旋的空間三次元を形成するということになる。

追記:樹木の場合(例えば、ケヤキ)、時空軸=天地軸に幹が来て、螺旋的空間三次元に枝葉が来るのではないだろうか。
 つまり、樹木は時空一次元と空間三次元の「時空・空間」四次元体となる。


追記2:時空一次元+空間三次元という時空/空間四次元体という概念は、拡大ガウス平面路線と四元数路線の合体・結合と言えるだろう。拡大ガウス平面-四元数的無双PS原理ということになる。


追記3:そうすると、まったく虚数が拡大ガウス平面と四元数で支離滅裂になる。これではまったく誤謬である。
 やはり、霊数凸(陽)と凹(陰)が必要になるだろう、とりあえず。


resurrectionのブログ


resurrectionのブログ resurrectionのブログ


<無双PS原理:Ver6.3.0>

         陰陽(円)

          陽(凸):自己
          |
          |
          |
          |
          |
          ★
_______・_______実軸(時空軸)+1
          ☆
          |
          |
          |
          |
          |
         陰(凹):他者

【但し、・は太極点(内在的超越点、MP: Media Point)、★は陽における陰点、☆は陰における陽点である。
 そして、陰陽(円)は軸ではなく、多次元、無限次元、無次元であり、陽=自己と陰=他者で意識、精神、魂を形成し、生命気螺旋とは区別される。
 尚、太極点から発出する生命気螺旋における三つの虚軸(空間三次元)は記入していない。】
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11392346422.html
 
| sophiology | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
陽主導の物質形成と陰陽共振:物質宇宙と暗黒宇宙:光と気と闇
テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

今日も森で考えた。約二時間半いた。
 今は簡単に触れる。考えたのは、陽主導によって物質が形成されるということであり、陰陽共振は気的螺旋を形成するということである。
 しかしながら、陰主導の場合はどうなるのかは考えなかった。
 そこで整理すると、

1)陽主導の場合
2)陰陽均衡共振の場合
3)陰主導の場合

が考えられる。

 1は物質形成を意味すると思う(今の段階)。
 2は気的生命体ではないだろうか。
 3は不明である。

森の中での直観を思い出すと、陽主導で物質形成があり、陰主導で不可視の気的生命体(気の身体)が形成されるというものだったと思う。
 
 ところで、今、思ったのであるが、陰陽共振体がある。その陽の面が物質で、陰の面が太一に通じるのではないだろうか。
 つまり、陰陽共振体が生命体、つまり、物質的生命体である。物質体は陽の力が形成するのではないか。
 陰が主導すると、真に共振して、気的螺旋になるのではないのか。
 
 どうも混乱している。今日は疲れているので、ここでやめる。元気なときに再考したい。

追記:どうもすっきりしないので、森の思考を辿る。
 思ったのは、どうして、陰に太一というかコスモス(宇宙)が感じられるのか、ということである。これは、以前、何度も考えたことであるが、再考である。
 結局、陽中心だと物質現象が支配的であり、それは、コスモスにはならないのである。個物の世界に過ぎないのである。
 陰は、陽の物質性から抜け出ているので、気的身体理性に差す太一を感じるのではないだろうか。その一(いつ)性がコスモス(宇宙)を感じさせるということではないのか。
 身体理性の場合は陽極、陽の側面があるので、完全にはコスモスを感じないと思うのである。
 はっきりとすべきは、陰に感じるコスモスとは、陽主導による物質的宇宙とは異なるということである。二つの宇宙があるということである。現象宇宙(可視 宇宙)と暗黒宇宙(不可視宇宙)である。(思えば、かつて、私は両者を一致させていた。陰に感じるコスモスは可視の宇宙と一体であると感じていた。)
 この二つの宇宙であるが、物質宇宙・可視宇宙は、陽主導に拠るもので、暗黒宇宙・不可視宇宙は陰主導に拠るものではないだろうか。
 問題は陰陽均衡の場合はどうなのかということである。
 ひょっとして、均衡の場合は動かなくなるのではないだろうか。静止するのではないだろうか。これはおいておく。
 とまれ、二つの宇宙であるが、両者は平行していると思われる。気の宇宙と言ったら、当然、暗黒宇宙・不可視宇宙であろう。
 以上が、今日の森における思考を想起したものであるが、それは、これまでの陰陽共振としての生命体の概念とは異なると言えよう。
 どうも次のように整理できるかもしれない。
 これまで述べてきた陰陽共振としての物質生命体であるが、そこにおいて、陽主導的側面が物質体であり、生命体とは、陰陽共振的螺旋に存する。
 しかし、以上で述べた陰主導による暗黒宇宙・不可視宇宙であるが、それは、物質的生命体とは異なるのである。
 D.H.ロレンスが『死んだ男(逃げた雄鶏)』で述べた、「宇宙の暗い薔薇」のように思えるのである。
 今日、宇宙論で問題になっているダークマターはここに関係しているのではないのか。
 とまれ、そうすると、気と暗黒宇宙・不可視宇宙との関係はどうなるのだろうか。
 陰主導では、ダークエネルギーが生まれるということなのだろうか。
 そうすると、物質エネルギー(光)と気とダークエネルギーの三種類のエネルギーがあることになる。
 複雑怪奇になってきているので、とりあえず、ここで留める。
| sophiology | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
身体理性(気的身体理性)と植物生命イデア:陰陽界面と大イデア:太一⇔身体理性⇔陰陽分極: 2nd Version
テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

今は余裕がないので、ポイントだけ記す。
 以下(参考)のように、陰と陽を結ぶ身体理性(気的身体理性)を先に考えた。これは第3のものである。
 では、これと大イデア=植物生命イデアはどう関係しているのか。
 当然、繋がっているものである。つまり、端的に、身体理性=大イデア(太一イデア)ということになる。
 しかし、果たしてそうか。
 身体理性は陰と陽を繋いでいる。つまり、陰極と陽極をもつ理性である。思うに、これは、太一(太極)ではないのか。太一が分極化して、陰陽となる。その様態が身体理性にあるのではないだろうか。
 問題は一(いつ)と陰陽分極・二との有り様である。
 結局、身体理性は、一(いつ)でありつつ、二なのである。この「矛盾」をどう説明するのか。
 思うに、一は超越次元にあり、二は心的現象次元にあり、その中間に次元変換点があるということではないだろうか。次元変換点であるが、それは、これまでの記述では、MP(メディア・ポイント)に当たるだろう。
 直観では、トンネルのようなものである。上部では、一であるが、下部では二なのである。
 そう、即非様態と見るといいのだろう。一であり、且つ、二であるという様態である。
 問題は、一と二が接しているのか、否かである。
 思うに、接していない。超越的一が、次元下降的に、二となるのであるが、一と二は一つなのである。
 やはり、内在的超越性という概念が適切なようである。
 そして、即非である。一であり、同時に、二である。しかし、一と二は、当然、異なるものであり、一致しない、接しない。
 しかし、身体理性とは、いわば、一(太一・太極)と二(分極・陰陽)を繋げている媒介点、そう、メディアと考えられる。つまり、

一(太一・太極)⇔身体理性メディア⇔二(陰陽分極)

という図式が考えられるのである。(追記:三叉を考え、その三枝の交点に【気的】身体理性メディアを見ればいいのである。)
 一と二が一種の三つ巴を形成し、その交点として、(気的)身体理性メディアが考えられるということである。
 直観では、(気的)身体理性メディアには、捩れが考えられる。それが、陰陽様態を意味するのではないだろうか。
 一の捩れとしての二である。
 そして、この捩れの力学が生命力学であるということになるのではないだろうか。
 とまれ、以上から四元論が形成されたことになる。
 とまれ、気的身体理性とは、一と二をつなぐ接点・メディアであり、それは言い換えると、一と多をつなぐ接点・メディアということになる。言い換えると、一神教と多神教をつなぐ接点・メディアということになる。
 そうすると、以前、考えたように、xyの直交座標に、垂直に交わるz軸を入れて立体座標が考えられる。
 z軸が太一イデアであり、y軸が陰陽軸であり、x軸が物質現象軸である。
 以前、作図した以下のような三次元を考えるといいのである。


無双PS原理三次元世界:Ver4.1>
                 

               虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
                                
          超越軸z軸:太極・霊界      
                         
                       
               |      
 供物質認識       |         機頭
               |  
               
−1__←重力波_MP・胸_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我       /              天・個
               
掘ф               検Ю鎖税Ъ院丙嫁Ъ院
              
               
陰・凹i・空間形式    
・他者           

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11324260617.html

追記:太一⇔気的身体理性メディア⇔陰陽分極を以下のような構造図を見るといい。

          太一
           |
           |
           |
           |
      気的身体理性メディア
          /\
        /    \
      /        \
  陰極(他者)     陽極(自我)


参照:

無双PS原理ガウス平面 ( 10 )

http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10057545046.html

今はここで留める。


参考:
 
と陽自我頭)をつなぐ身体意識理性):無双陰陽...

http://d.hatena.ne.jp/antares/20130218

陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化とし ...

http://d.hatena.ne.jp/antares/20130222
| sophiology | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
身体理性(気的身体理性)と植物生命イデア:陰陽界面と大イデア:太一⇔身体理性⇔陰陽分極
テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

今は余裕がないので、ポイントだけ記す。
 以下(参考)のように、陰と陽を結ぶ身体理性(気的身体理性)を先に考えた。これは第3のものである。
 では、これと大イデア=植物生命イデアはどう関係しているのか。
 当然、繋がっているものである。つまり、端的に、身体理性=大イデア(太一イデア)ということになる。
 しかし、果たしてそうか。
 身体理性は陰と陽を繋いでいる。つまり、陰極と陽極をもつ理性である。思うに、これは、太一(太極)ではないのか。太一が分極化して、陰陽となる。その様態が身体理性にあるのではないだろうか。
 問題は一(いつ)と陰陽分極・二との有り様である。
 結局、身体理性は、一(いつ)でありつつ、二なのである。この「矛盾」をどう説明するのか。
 思うに、一は超越次元にあり、二は心的現象次元にあり、その中間に次元変換点があるということではないだろうか。次元変換点であるが、それは、これまでの記述では、MP(メディア・ポイント)に当たるだろう。
 直観では、トンネルのようなものである。上部では、一であるが、下部では二なのである。
 そう、即非様態と見るといいのだろう。一であり、且つ、二であるという様態である。
 問題は、一と二が接しているのか、否かである。
 思うに、接していない。超越的一が、次元下降的に、二となるのであるが、一と二は一つなのである。
 やはり、内在的超越性という概念が適切なようである。
 そして、即非である。一であり、同時に、二である。しかし、一と二は、当然、異なるものであり、一致しない、接しない。
 しかし、身体理性とは、いわば、一(太一・太極)と二(分極・陰陽)を繋げている媒介点、そう、メディアと考えられる。つまり、

一(太一・太極)⇔身体理性メディア⇔二(陰陽分極)

という図式が考えられるのである。
 一と二が一種の三つ巴を形成し、その交点として、(気的)身体理性メディアが考えられるということである。
 直観では、(気的)身体理性メディアには、捩れが考えられる。それが、陰陽様態を意味するのではないだろうか。
 一の捩れとしての二である。
 そして、この捩れの力学が生命力学であるということになるのではないだろうか。
 とまれ、以上から四元論が形成されたことになる。
 とまれ、気的身体理性とは、一と二をつなぐ接点・メディアであり、それは言い換えると、一と多をつなぐ接点・メディアということになる。言い換えると、一神教と多神教をつなぐ接点・メディアということになる。
 そうすると、以前、考えたように、xyの直交座標に、垂直に交わるz軸を入れて立体座標が考えられる。
 z軸が太一イデアであり、y軸が陰陽軸であり、x軸が物質現象軸である。
 以前、作図した以下のような三次元を考えるといいのである。


無双PS原理三次元世界:Ver4.1>
                 

               虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
                                
          超越軸z軸:太極・霊界      
                         
                       
               |      
 供物質認識       |         機頭
               |  
               
−1__←重力波_MP・胸_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我       /              天・個
               
掘ф               検Ю鎖税Ъ院丙嫁Ъ院
              
               
陰・凹i・空間形式    
・他者           

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11324260617.html

参照:

無双PS原理ガウス平面 ( 10 )

http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10057545046.html

今はここで留める。
 
参考:
  1. と陽自我頭)をつなぐ身体意識理性):無双陰陽...

    d.hatena.ne.jp/antares/20130218 - キャッシュ
    2013年2月18日 ... と陽自我頭)をつなぐ身体意識理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元
    論へ進化する. テーマ:無双陰陽 ... 先に、食事哲学について触れた(世界の謎:食事
    哲学:地球生活の謎:身体と意識:ポスト唯物論としての逆ルネサンス ...

  2. 陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化とし ...

    d.hatena.ne.jp/antares/20130222 - キャッシュ
    2013年2月22日 ... 陰と陽の衝突・激突、20年過ぎて、ようやく、解決に至ったと思う。(参照:
    自我頭)をつなぐ身体意識理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元論へ進化する (
    02/18) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1925.html) ...
| sophiology | 02:40 | comments(0) | trackbacks(0) |

Calendar

    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

Sponsored Links

Profile

Recommend

Search

Entry

Archives

Category

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode