JUGEMテーマ:学問・学校
ノストラダムスの予言の「一人の畏怖すべき大王」はグランドクロスで、「アンゴルモアの大王」は風朕?
テーマ:東アジア共同体:ユーラシア新母権共同体
アンゴルモア - Wikipedia
この語は、『予言集』(百詩篇 )の第10巻72番 に登場する。その詩の直訳はひとまず以下のようになる(翻訳上のより詳しい問題は第10巻72番 を参照)。
1999年7か月、
空から恐怖の大王 が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルス の前後に首尾よく支配するために。
信奉者による解釈の歴史[編集 ]
この詩は17世紀前半までの注釈書の類ではまったく言及がなく、20世紀に入るまではほとんど注目されないものであった。よってこの語に関しての解釈も、17世紀になるまで現れてはいない。
なお「恐怖の大王」との関係については、直訳どおりアンゴルモアの大王とされるものが恐怖の大王とされるものによって蘇ると解釈した事例と、後者を前者の比喩とし、恐怖の大王はアンゴルモアの大王の再来のような人物であると看做す事例が混在している。
アングーモワ説[編集 ]
初めてアンゴルモアの解釈に言及したのは、1672年に『予言集』の英仏対訳版を出した医師のテオフィル・ド・ガランシエール であった。彼は、原文を le Grand Roy d'Angoumois と綴った上で、こんな注をつけた。
ここでアングーモワ の大王と呼ばれているのはフランス史上で最も勇敢な君主であったフランソワ1世 である。彼は王となる前はアングレーム 伯の称号で通っていた。詩の残りの部分はわかりやすい。[1]
つまり、アンゴルモアはアングーモワ地方を指すに過ぎず、その大王とは、ヴァロワ=アングレーム家 出身でノストラダムスの青年時代にフランス王の座にあったフランソワ1世を指しているという解釈である。17世紀末の解釈者バルタザール・ギノー は、アンゴルモアに直接言及したわけではなかったが、アンゴルモアの大王は「フランスの大王」の換称とした[2] 。
1816年にはアングレーム公 の結婚にあわせて出版されたパンフレットで、この詩がとりあげられた[3] 。こうした流れでは、「アンゴルモワの大王」がアングーモワ地方にかかわるフランスの王であることはほぼ自明のこととされていた。
アッティラ説[編集 ]
1930年代にこの詩を解釈したマックス・ド・フォンブリュヌは、アンゴルモワをアングーモワと捉えるところまでは従前の論者たちと同じだったが、位置付けに変更を加えた。彼はアングーモワが古代にフン族 が侵攻した地であることに着目し、「アングーモワの大王」はフン族の王アッティラ を指し、「恐怖の大王がアングーモワの大王を蘇らせる」とは、アッティラが蘇ったと思わせるようなアジア人の指導者に率いられた軍隊がヨーロッパに侵攻するという意味だと解釈した[4] 。この黄禍論的解釈は、フランスの他の解釈者だけでなく、英語圏の論者たちにも踏襲するものが現れた[5] 。
この解釈は、フォンブリュヌの息子ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ によってほぼそのまま引き継がれた[6] 。息子のフォンブリュヌの解釈書『歴史家にして予言者ノストラダムス』は、1980年代に国際的な大ベストセラーになった[7] 。
モンゴル説[編集 ]
アッティラ説によって「アンゴルモワ」がアジアからの侵略者という捉え方をする解釈者が現れる中、これはモンゴル を表すアナグラム だと解釈するものたちが現れた。懐疑派であったエドガー・レオニの注釈(1961年)の中にも、Angolmois を Mongolois とする説への言及がある[8] 。アナグラムの仕方には、コリン・ウィルソン のようにMongolians を導き出すものもあったが[9] 、いずれにしてもそこで出てくる「モンゴルの大王」は、「大ハーン 」すなわちチンギス・ハーン の再来を思わせる人物の出現と解釈されていた。
のちには、ルーマニア 出身の解釈者ヴライク・イオネスクのように、アッティラ説とモンゴル説を重ね合わせた解釈を展開するものも現れた[10] 。
参照:尚、グランドクロスは以下を見られたい。
グランドクロス - Wikipedia
黄道十二宮上で4つの惑星が十字型に並ぶ配列を指す。占星術上の意味としては、凶
座相を意味するとされる。 西洋占星術では、地球を挟んで2つの惑星が反対側に並ぶ衝
( ...
グランドクロス(Grand Cross)は、西洋占星術 におけるグループ・アスペクトの1つで、黄道十二宮 上で4つの惑星 が十字型に並ぶ配列を指す。占星術上の意味としては、凶座相を意味するとされる。
西洋占星術では、地球を挟んで2つの惑星が反対側に並ぶ衝 (オポジション)と、ある惑星と地球と別の惑星をつないだ角が90度になる矩 (スクエア)が、不吉な星の配置とされている。グランドクロスは、複数の衝とスクエアが同時に発生するためにより一層不吉な配置と見なされる。
ただし特例として、グランドトライン を形成した上に、相生(対極)のエレメントの星座宮に配置された惑星で形成される『カイト・グランドクロス 』がある。
1999年8月のグランドクロス[編集 ]
1999年 8月18日 には、金牛宮 に土星・木星が、獅子宮 に太陽・水星・金星が、天蠍宮 に月・火星が、宝瓶宮 に天王星・海王星がそれぞれ入るという形で、地球以外の7つの惑星と、太陽・月がグランドクロスを形成した(当時惑星に分類されていた冥王星はわずかに外れていた)。
このグランドクロスは、ベストセラーになった五島勉 『ノストラダムスの大予言 II - 1999年の破滅を不可避にする大十字(グランド・クロス)』(1979年 )で、不安を煽る副題とともに大きく採り上げられていたことから、オカルト 関係ではよく知られていた。
ノストラダムス[編集 ]
五島は、ノストラダムス の1999年の詩 と関連付けて紹介した。しかし、ノストラダムスの「7の月」が仮にユリウス暦 の1999年7月 を意味していたとして、暦法の違いを考慮に入れたところで、8月18日は7の月にならない。
実証的な立場で、ノストラダムスが1999年に起こる何らかの天体現象を視野に入れていたとする者には、同年8月11日 の日食を考慮していた可能性を指摘する者はいるが(ピエール・ブランダムール など)、グランドクロスは相手にされていない。
参考:(以下、強調は管理人)
ウラジーミル・プーチン - Wikipedia
1998年5月 にプーチンはロシア大統領府第一副長官に就任した。ここでは地方行政を担当し、地方の知事 との連絡役を務めたが、後にプーチンはこの職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っている[22] 。同年7月 にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁 (FSB)の長官に就任。この時、ボリス・エリツィン大統領(当時)のマネーロンダリング 疑惑を捜査していたユーリ・スクラトフ 検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、首相 だったエフゲニー・プリマコフ のエリツィン追い落としクーデター を未然に防いだ。この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになる。
首相職(1999年)[編集 ]
プーチンはエリツィンによって
1999年8月9日 に第一副首相に任命された(同日セルゲイ・ステパーシン が首相を解任されたためそのまま首相代行に任命)。この時、エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明していた[23] 。さらに1週間後の8月16日 には正式に首相に任命される。首相に就任するとロシア高層アパート連続爆破事件 をきっかけにして勃発した第二次チェチェン紛争の制圧に辣腕をふるい、「強いリーダー」というイメージを高め国民の支持を獲得した。当時、次期大統領選のプーチンの有力な対抗馬として元首相のプリマコフがいたが、同年12月19日 に行われたロシア下院選挙 で、プーチンを支持する与党 ・「統一」の獲得議席数がプリマコフらによって結党された「祖国・全ロシア 」の議席数を超えてロシア連邦共産党 に次ぐ第二党となったことにより、プーチンは次期大統領の座にさらに近づいた(後にプリマコフは次期大統領選への出馬を断念した)。そして同年12月31日に健康上の理由で引退を宣言したエリツィンによって大統領代行に指名される。
追記;以下も参照されたい。興味深い、次のような日本語訳がある。
『諸世紀』第10巻72
1999年第7番目の月
天から地に落とされし驚愕の大王
アンゴルモアの大王を甦らさんと
その前後にマルスは平和を盾に支配に乗り出す
「マルスは平和を盾に支配に乗り出す」である。プーチンは智将であり、マルス(軍神)である。しかし、平和裡にシリア、ウクライナ問題を解決した。また、プーチンは天秤座生まれで、天秤座は平和の星座である。
原文では、par bonheurとあるが、これは、直訳では、「幸福によって」である。意訳すれば、「幸福をもって支配(統治)する」となる。幸福を平和と訳していいもの か。しかし、幸福は、当然、当時を考える(ユグノー戦争が1560年に起きた)と、平和を指すだろう。
また、以下を参考。
http://traduction.sensagent.com/bonheur/fr-ja/
だから、「盛運をもって統治する」とも訳せる。
氣電磁波を作業仮説する:氣電磁波と電磁波は全く異なる:生命電磁波と純物質電磁波:天の氣と地の氣
テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合 後で検討。
別のことであるが、地の氣と天の氣があるように思えた。もっとも、これは、氣論としては一般的であろうが。
地の氣は大地から上昇する。それに対して、天の氣は、天から大地へと下降する。
シュタイナーの説くエーテルは、天の氣ではないだろうか。そして、物質力は地の氣ではないだろうか。
二つの氣があるのである。大雑把に言えば、陽の氣が天の氣で、地の氣が陰の氣ではないだろうか。
シュタイナーは天の氣が造形力をもって、物質を形成すると述べている。
しかし、思うに、物質力は地の氣であり、それは、生命力のように思える。そして、天の氣が働きかけるのかもしれない。
後で丁寧に考えたい。
ところで、地の氣と天の氣の衝突というか相克はブラームスの交響曲第1番第1楽章に表現されていよう。
虫媒花とミツバチ:作業仮説:花の氣的現象集合体的共鳴回路
テーマ:二つの自然:植物と動物:氣と獣欲・煩悩
虫媒花とは不思議である。
なにか、花とミツバチの間にコミュニケーション(「テレパシー」)があると思えてしまう。
とまれ、客観的に言うと、他者との交配を目指しているのであり、自分以外の花粉を植物は求めている。
でも、どうして、自己受粉ではなく、他者受粉なのか。思うに、「純粋培養」は、遺伝的に劣等になるからだろう。おそらく、免疫力が弱くなるのだろう。
とまれ、まったくの作用仮説であるが、植物の氣の共鳴回路があり、その共鳴回路にミツバチを呼び込むのではないだろうか。
しかし、氣だけではなく、花の形態、花の蜜、花の香りなどで、ミツバチを誘うと言えよう。
問題は、何故自家受粉ではなく、他家受粉なのかである。
これは、花の植物がもつ、集合性、集合体性にあるのではないだろうか。花の共振回路は、花の集合的共振回路ではないだろうか。その集合体内において、花粉を交換して、集合体としての花の植物を生存させていくということではないだろうか。
追記:集合体と言ったが、共同体と呼ぶ方が適切であろう。つまり、花の植物共同体、植物共同体共鳴回路があるということである。
そして、花の植物共同体にミツバチを引き寄せて、植物ー昆虫ー動物の共同圏を形成するということではないか。
これを、塵類にあてはめるといいのである。その植物共同圏に塵類も適応すべきなのである。そう、植物ー動物ー塵類大共同圏である。当然、大地、宇宙の自然全体も入ってくる。
宇宙自然大地ー植物的大生命共同圏の形成が必要である。
追記2:以前の理論での視点が興味深い。つまり、花とミツバチの関係は、不連続的差異共振ということになるのである。
つまり、花とミツバチは互いに不連続的差異であり、それが、共振共鳴するのである。
でも、このように考えると、その力学を明確にする必要がある。これは、検討課題である。
森の樹木の花の受粉を促進するのがニホンミツバチで、結果、自然環境や生態系が活性化する=森が元気になる。
ミツバチがいなくなる。すると受粉が出来なくなる。そして、植物が死に、すべての動物が死に絶えて行く。
人間も消え行く運命をたどる。」 (アルバート・アインシュタイン) (記事)
それにしても、最近は、ミツバチがブームになっていて…、ニホンミツバチの蜂蜜が免疫力をアップさせるというので、蜂蜜の売れ行きが凄い。
あと、花粉症が治った!という報告も多い。
これは花粉を大量に運ぶミツバチが、「花粉による過剰反応」を軽くする成分を蜂蜜のなかに生成しているの鴨。
あ、昨夜は、ニホンミツバチを増やすのに夢中になった鷲の仲間(志布志市の大物)が、夜になっても家に帰ってこない!という連絡が家族から入った。
分蜂したニホンミツバチが入った巣箱を志布志市の郊外(携帯の電波が弱い山の中)に移動させていたらしい(ミツバチが入った巣箱の移動は夜中にヤル)。
本日は、古い巣箱を乳酸菌液のなかにドブ漬けする「乳酸菌消毒」の日だ。
乳酸菌の強力な酸(強酸)で、病原菌や病原性ウイルスを殺してしまおう!という作戦だ。養蜂が好きな志布志の爺さんたちが沢山あつまってくる…。
ニホンミツバチを飼う…。こんなに忙しい趣味だとは思わなかった。飯山一郎のHP
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陰陽未分化と陰陽即非極性:陰傾斜の母権精神と陽傾斜の父権精神の弁証法から不連続的陰陽調和論へ
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
太極は陰陽未分化であり、太一は陰陽分化である。しかしながら、太一は、一(いつ)の氣であり、且つ、陰陽分化極性をもつと考えている。
問題は、後者である。それは、分化とは言え、同時に、一(いつ)なのである。つまり、非分化様態なのである。分化、且つ、非分化の、いわば、即非様態にあるのである。
そう、この太一の陰陽非分化を未分化と呼ぶことはできない。何故なら、未分化とはまだ、陰陽の区別がないからである。それに対して、太一においては、陰陽の区別があり、極性をなし、その極性は一(いつ)の様態をもつのである。言い換えると、二一原理なのである。
これでいちおう整理できたが、問題は、量子論の場の理論である。主客非分化の問題である。つまり、不確定性の原理の問題である。
主を陽、客を陰とすると、確かに、陰陽の区別はあるが、同時に、非分化なのである。だから、主客非分化は存在すると言えよう。ただし、それは、主客未分化ではないのである。この点は混同されてはいけない。
ただ、これまで述べたように、量子論は、PS陰陽論から言うと、ガウス平面の実軸、実次元でだけ考えていて、虚軸、虚次元、つまり、陰陽次元で考えていないのが問題なのである。つまり、氣の次元が看過されているのである。
だから、量子論では、氣と物質が混同されていて、曖昧になっていると思われるのである。
例えば、長距離相関の問題であるが、それは、虚軸、虚次元、氣=陰陽次元を考えると、明確になるだろう。虚軸においては、陰陽は一であるから、それが実次元において、長距離離れていても、超越的に陰陽(「量子」)は相互反応するのである。
だから、量子論における非分化であるが、それは、虚軸、虚次元、陰陽次元(氣次元)、超越次元(内在超越次元)が明確にされていないので、曖昧な性質をもっていると考えられる。
さて、次に、人間の精神の問題を考えると、太極=陰陽未分化と太一=陰陽非分化があり、複雑である。
太極=陰陽未分化とは、端的に、混沌、カオスである。
そこから、太一=陰陽非分化(極性と一の即非)の宇宙、コスモスが生まれるのである。
問題は無意識を含めて、人間の精神において、太極と太一はどういう構成になっているのかということである。
私が例えば、「私は樹木と一である」と感覚した場合、それは、太極の陰陽未分化の様態なのか、それとも、太一の陰陽非分化の様態なのかということに関わると考えられる。
「私は樹木と一である」というのは、後者であると考えれる。つまり、その場合、「私」は「私」であり、「樹木」は「樹木」であり、両者は区別される存在 である。つまり、主客の分離がそこにはあるのである。それと同時に、「私は樹木と一である」ということが成り立つのである。
区別と一が同時生起事象なのである。正に、即非事象である。
これは、陰陽非分化、主客非分化である。もっとも、正確に言えば、分化且つ非分化の即非であるが。
では、前者はどういう場合なのか。それは、「私が樹木と融合する」という場合ではないだろうか。「私」と「樹木」は区別されないのである。
これは、病的な様態と言えよう。
思うに、陽が欠落して、陰が強化されるとこうなるのではないだろうか。
そうならば、陰が極大化したとき、つまり、太陰になったとき、陰陽未分化が生起するのではないだろうか。
また、逆に、陽が極大化したとき、「太陽」になったときは、陰陽絶対分化が起こり、結局、二元論が生起するのではないだろうか。
そうすると、太極の陰陽未分化=混沌とは、実は、太陰状態のことなのではないのかと思われるのである。
ならば、初めに、太極=陰陽未分化=混沌(カオス)ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないだろうか。
そう、太極とは実は、太一のことなのではないだろうか。
つまり、太極=太一=陰陽即非極性ではないだろうか。
今はここで留める。
追記:少し補足する。
陰の極大としての太陰と陽の極大としての太陽であるが、後者が混同されるので、前者を極陰、後者を極陽と呼ぶ。もっとも、以前そうしたのではあるが。
補足と言ったが、論の発展になる。
結局、人類精神史に関わるのである。即ち、母権・母系制の文明時代、これは新石器時代はもとより、旧石器時代にも関係しようが、今の父権文明よりはるかに長期の文明時代であるが、これは、陰陽から言うと、陰に傾斜した精神文明だと思われる。
問題は、精神の根源である。
上で、私は、根本は陰陽未分化混沌ではなく、太一=陰陽即非極性=秩序(コスモス)があるのではないかと述べた。
それから、考えると、結局、精神には、陰陽調和点があるのである。ガウス平面では、原点(MP:メディア・ポイント)がそれに当たるのである。
そして、母権文明の精神において、陰陽様態が陰に傾斜していると考えるが、そのとき、陰陽調和点が陰といわば、癒着していて、つまり、連続化していて、いわば、未分化様態が発生しているように思えるのである。
しかしながら、陰陽調和点は、陰陽即非性をもつのであるから、母権文明精神は、陰陽未分化と陰陽即非性の連続態にあるように思える。
陰陽未分化はいわば、今日から見れば、病理的である。あるいは、未開的である。
しかしながら、陰陽調和点の即非性は、いわば、未来的である。つまり、母権文明精神は今日から見て、消極的なものと積極的なものが未分化融合していると考えられる。
次に、母権文明を滅ぼした父権文明、つまり、今日の崩壊しつつある文明(とりわけ、西洋文明)であるが、それは、陽に傾斜した文明であると考えられる。極陽の文明である。特に、ユダヤ教の一神教がそのようなものである。
とまれ、母権文明に対する父権文明の勝利は、ギルガメシュ叙事詩 に浮き彫りにされている。
森の母権文明が都市の父権文明に滅ぼされるのである。
とまれ、人類精神史的にもっとも重要な点は、母権精神にあった陰陽調和点が、父権精神によって排除されたことではないだろうか。
そう、『ギルガメシュ叙事詩』はまだ、母権精神の残照があるのであり、母権精神の完全な否定は、バビロニア神話あるいはメソポタミア神話 にある。
母なる神のティアマト をマルドゥク が滅ぼすのであり、その心臓を太陽に捧げるのである。
そう、この母なる神殺しは、母権精神の完全否定、つまり、上述したように、陰陽調和点の否定と考えられるのである。
少し丁寧に言えば、母権精神の陰傾斜+陰陽調和点の否定が生じたと考えられるのである。
確かに、陰陽未分化的精神が否定されたのは、進歩であるが、同時に、陰陽調和点を否定したのは、恐ろしいことなのである。何故なら、人類の精神の根源界に通じる精神的通路を閉ざしたからである。(ここにおいて、超越神の宗教、啓示宗教が起ることになるのである。)
さて、今日、父権文明のどん詰まり状態に生きているわけであるが、また、新母権文明の曙光が見え始めた時代に生きているわけでもあるが、とは言え、日本 は暗黒の度合いを増長させているが、新母権文明の精神は当然、過去の母権文明の精神を何らかの形で取り戻すことになるのである。つまり、母権精神ルネサン スである。
しかしながら、上述したように、母権精神は否定的なものと肯定的なものの混淆であり、そのまま新生させることは混乱である。また、反動である。
ポイントは当然、陰陽調和点を新生させることである。そして、陰に傾斜した陰陽未分化精神は否定すべきである。
思うに、ここで、PS陰陽論の前身である不連続的差異論の画期的意義があると思う。
即ち、陽傾斜による自我(陽自我、頭脳自我)のもつ連続的同一性を切断して、陰陽の極性を取り戻すことである。
これが第一歩である。そして、次に、分化された陰陽に、陰陽調和点を中心にして、均衡をもたらすようにはたらきかけるのである。これは、心身修行である。
この陰陽調和点は、胸の中丹田にあると考えている。そこにおける氣の美感を中軸にして、陰陽(下丹田・肚と上丹田・頭)のバランスを形成するように生活するのである。
そう、旧い母権精神の復活だと陰中心になり、陰陽未分化の退行が起ってしまい、劣化・退化となるだろう。
胸・中丹田の氣の美感を中心にして、新たに陰陽均衡を形成するのである。これが、新母権精神の形成である。(また、これこそ、真の個の形成でもある。)
結局、問題は、父権精神が母権精神を否定して形成されたために、単に陰傾斜の陰陽未分化精神だけでなく、根源に通じる陰陽調和点までも否定したことであ り、このために、父権精神は病理的ないし反動的になり、狂気・暴力的になっているのであり、戦争、破壊を好むようになっていると考えられるのである。
しかし、父権精神を乗り越えようとし、母権精神を取り戻そうとすると上記のことが生じるのである。反動化が起るのである。何故なら、旧い母権精神には、陰傾斜の陰陽未分化の退行的様態があるからである。
だから、とにかく、上述したように、先ずは、陰陽切断である。連続化している精神を陰陽に切断することなのである。陰のもつ不連続性を肯定することなのである。これが第1段階である。
そして、第2段階は上述した通りである。
この方法、いわば、不連続的陰陽調和形成によって、退行的な陰傾斜の陰陽未分化様態は抑えられるのである。
最後の一言、日本人の精神病理について言うと、陽に傾斜してしまっていて、そう、ほぼ極陽と言えるほどであり、陰が排除されている。これは、うつ病等の精神病を引き起こすと思われる。
精神の治癒のためには、陰・肚を取り戻すことである。それから、陰陽調和を取り戻さないといけない。
思うに、消費税増税で貧乏人が増加するが、思うに、これを田園回帰のきっかけとしたい。田舎は高齢者が多く、農業は正に滅びんとしているのである。
都会・都市を捨てて、田舎に回帰するのは、日本、日本人の復活に通じよう。田園には、氣があるのである。氣とともに、生活すべきである。日本母権民族の復興となろう。
プーチニズムはPS陰陽論と共通:多様な不連続的差異(世界の国々)を共立共鳴させる多様共同体文明論
テーマ:東アジア共同体:ユーラシア新母権共同体
それをプーチン氏は批判しているのである。彼の哲学は、差異の哲学、それも、不連続な差異(世界の国々)の哲学であり、それらを共立(共生)させることを狙っているのである。
これは、実は、PS陰陽論と同じ考え方である。多様な不連続な差異を共鳴させる多元共同体の哲学なのである。
追 記:一見、プーチン氏の発想は、ボルシェビキの社会主義を想起するが、まったくそうではない。社会主義は同一性主義なのである。自己モデルを押しつける主 義なのである。それに対して、プーチ二ズム(造語)は、他者(世界の国々)を尊重し、自己との共立共生共創を志向しているのである。正に、脱西洋の新文明 の哲学である。
強気の露「G8にしがみつかない」 世界の多極化さらに推進へ
氣と物活論と物質科学:PS陰陽科学仮説と物活論の相違・類似点:氣的有機体と活物は似て非なる
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
ある文献を読んでいたら、hylozoism(ハイロゾイズム)という耳慣れないというか、おそらく初めて見る言葉に出会った。それは、何と、物活論ということで、これは、いわば、古めかしい考え方であるが、よく考えると、氣のサイエンスに通じる視点である。
簡単に言えば、「物」に生命を認める視点である。しかし、問題は、「物」なのである。私は氣的物質と純粋物質を分離する仮説をとっている。だから、物活論の視点では、二つの物質に生命力を認めることになろう。
私の氣科学仮説は、氣的物質において、生命を認めるのであり、純粋物質には生命を認めないのである。この点で、氣科学仮説と物活論は異なるように思う。もっとも、物活論すべてを否定するわけではなく、たいへん貴重な視点と思う。すっかり忘れていた視点である。
とまれ、今簡単にPS陰陽氣科学(仮に私の仮説をこう呼ぶ)と物活論を比較すると、前者のガウス平面(陰陽平面)の原点=MP(メディア・ポイント)に おいて、氣と生命有機体との接点が存する。ここにおいて、有機物質体は生命を具有するのである。しかし、生命の根源はあくまで陰陽氣であり、有機体の物質 自体にはない。
陰陽氣が生命体を構成形成し、駆動させていると見るのである。
とまれ、氣的有機体(生命体)においては、確かに、物活論的な様態が存すると思われる。そう、氣的身体はほぼ物活論的身体と言えるだろう。
ということで、PS陰陽氣科学仮説と物活論の相違・類似点をざっとあげてみた。
参照:
日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化 先に、以下(***の下部)のように書いたが、補足したい。太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。
虚軸(陰陽軸)
陽凸i
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−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
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陰凹i
先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
初めに、太陽ありき、である。
いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質
である。
暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html
科学者はオカルト現象とどう向き合えばよいのか - システム論ブログ ...
するギリシャ語のゾーエー(ζωή)から作られた造語で、狭義には、万物に霊魂を認める
ギリシャ哲学の立場を示す。似た用語にアニミズム、生気論、唯心論があるが、意味は
...
奥村大介「ささめく物質――物活論について」を読んで - 物語文化と科学 ...
物たちのささめき」で論攷の要所をまとめています。また、ツイッターでのユーザー名、
あさみれい氏が「物活論」について既に評しています(以下、リンクから ...
物活論と原子論
講義録「物活論. ア グ レ ガ シ ヨ. と原子論J である。 1881年に高等教授資格をとった
ベルクソンは、クレルモン=フェランのブレー. ズ=パスカル校(1883-88年)、パリのアンリ
回世 ...
「物活論」と「形態発生」:先端芸術表現に見られる意味 ... - 名古屋造形大学
物活論の系譜にも見ることができる。また. 生物学で論じられる形態発生論も、生命活動
によって、有機的な. 形態が生じることに注目することで、生命と物質のあり方を考察す.
古代ギリシアの7賢人・ターレス - Biglobe
、ミレトス学派の哲学者達は物活論を前提として自然界を眺めていたので ... そして、
世界に存在する全てのものは、水が生成変化することによって生じると考えたのである。
Hylozoism - Wikipedia, the free encyclopedia
as a whole) is in some sense alive. This may include the view that "inanimate"
matter has latent powers of abiogenesis, a widely held position in the scientific ...
hylozoism (philosophy) -- Encyclopedia Britannica
views all matter as alive, either in itself or by participation in the operation of a
world soul or some similar principle. Hylozoism is logically distinct both from early
...
−1を物質性=外面性、+1を精神性=内面性、MP(原点)を氣的中点と見る
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
虚軸(陰陽軸)
陽凸i
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−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
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陰凹i
上図において、虚軸を90°左回転すると実軸になるが、陽凸i→−1、陰凹i→+1になる。
−1は外的様態、+1は内的様態になるのではないだろうか。
人体で言えば、−1が骨格(頭蓋骨、背骨)であり、+1が内臓である。
そして、中点のMP(原点)は両者の媒介点になるのではないだろうか。陰陽調和点ないし中丹田であり、極性の均衡点であり、形而上学的一(いつ)に通ずる点である。
また、以下の図等に関連して言うと、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
x軸=実軸=日光軸が現象の基盤となるが、思うに、例えば、植物であるが、原点(MP)に言わば、種子があり、そこから、発芽するように思う。
即ち、陰陽の二分化がここで発現して、例えば、双葉が形成されると思うし、また、原点(MP)においては芽自体が存すると思う。つまり、原点(MP)において、陰陽の三位一体が発現すると思うのである。図像的には神話におけるポセイドン三叉槍(トリアイア)♆の上半分を参照するといいだろう。真ん中の↑が芽であり、左右の↑↑が双葉である。
このように三一形態がわかりやすいが、他の形態はどのような力学に拠るのか問題である。
簡単に説明するならば、陰陽振動の差異によって、多様な形態が成形されるということになる。
今は振動を使わずに説明したいと思う。
思うに、陰陽和音のようなものがあると思う。その法則によって、多様な形態、とりわけ、多角形が形成されるのではにあだろうか。陰陽和音とは自然のもつ調和的階調である。それは、音楽で明らかなものである。
後でさらに検討したい。
聖書の神を脱構築する:唯一神は太一、陰陽の一(いつ)の氣、ないし太極になる
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
- 世界樹木神話/八坂書房
- ¥3,990
- Amazon.co.jp
著者ジャック・ブロスはユダヤ神秘主義のカバラのセフィロトの樹(生命の樹)について、次のように、新鮮な説明をしている。
なお、ケテルは私の仮説の実軸=日光軸に、そして、男性原理は陽、女性原理は陰、そして、中央の軸は、天地軸=時間軸に相当するかもしれない。
あるいは、−1が男性原理で、+1が女性原理となるかもしれない。しかし、基本的構造は同じと言えよう。
【この根源的な両性具有は男性原理が唯一支配的だった族長制社会から出た聖なる文書である『創世記』の中では、ぼかされてしまっているがーーといっても完 全に消去されてしまったわけではなく、ある程度すけて見えるーー、後代のヘブライの伝承の中で、「セフィロトSephrothの樹」とよばれるカバラの秘 教的な図像にはっきりと見てとることができる。それは、いかなる説明も不可能な名前のない「精神」、絶対の「無」から発し、一段一段徐々に段階を降り物質 にまで至る創造的な「力」の諸々の「流出」の過程を表わしたものである。光源、それゆえすでに姿が現われたもの、すなわち、あらゆる発現の源である根源的 なセフィラSephirah、つまりケテルKetherからーーこれは種子として表わされ、そこから「セフィロトの樹」の幹は伸びているーー二本の枝が生 えている。右の枝は万物の父であり男性原理を示すアッバAbbaすなわち「大いなる父」であり、左の枝はアイマAima〔iはウムラウトする〕すなわち大 いなる「母」である。これら二本の枝の間からは、すべてを統合する天の道であり、平衡軸でもある幹が伸びている。「しかも最後のセフィラは、世界創造とい うドラマツルギーの中で卓越した役割を担うよう要請されており、『母』あるいは『女王『』や『産婆』さらには『花嫁』などをも意味するシェキナー Schekinahと名づけられている。】(430〜431頁)
参考:
「セフィロトの樹」の解釈(その1)
http://kojiki.imawamukashi.com/j01kosatu/treeoflife01.html
参照:
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11805081122.html
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。
虚軸(陰陽軸)
陽凸i
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−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
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陰凹i
先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。)
***************************
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
初めに、太陽ありき、である。
いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質
である。
暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html
追記:回転であるが、回転の後に逆 回転を考えたが、そうではなく、回転を続けるとも考えられよう。初め、虚軸90°左回転で、実軸になる。その後、さらに90°左回転で、新たに反対の虚軸 になる。これでも、死滅になるだろう。そう、この方が死滅として的確であろう。最初の虚軸は、いわば、誕生、出生であり、第1回目の90°左回転は、生命 現象の発現であり、第2回目の90°左回転における虚軸を死、死滅と見ると、最初の虚軸と釣り合い適切であろう。そして、第3回目の90°左回転における 実軸は、いわば、復活、新生・再生と見られるのではないだろうか。
では、第4回目の90°左回転における虚軸は何を意味するだろうか。それは、再度の死、死滅であるが、原点回帰である。原母界への回帰ではないだろうか。
−1を物質性=外面性、+1を精神性=内面性、MP(原点)を氣的中点と見る
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
虚軸(陰陽軸)
陽凸i
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−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
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陰凹i
上図において、虚軸を90°左回転すると実軸になるが、陽凸i→−1、陰凹i→+1になる。
−1は外的様態、+1は内的様態になるのではないだろうか。
人体で言えば、−1が骨格(頭蓋骨、背骨)であり、+1が内臓である。
そして、中点のMP(原点)は両者の媒介点になるのではないだろうか。陰陽調和点ないし中丹田であり、極性の均衡点であり、形而上学的一(いつ)に通ずる点である。
また、以下の図等に関連して言うと、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
x軸=実軸=日光軸が現象の基盤となるが、思うに、例えば、植物であるが、原点(MP)に言わば、種子があり、そこから、発芽するように思う。
即ち、陰陽の二分化がここで発現して、例えば、双葉が形成されると思うし、また、原点(MP)においては芽自体が存すると思う。つまり、原点(MP)において、陰陽の三位一体が発現すると思うのである。図像的には神話におけるポセイドン三叉槍(トリアイア)♆の上半分を参照するといいだろう。真ん中の↑が芽であり、左右の↑↑が双葉である。
このように三一形態がわかりやすいが、他の形態はどのような力学に拠るのか問題である。
簡単に説明するならば、陰陽振動の差異によって、多様な形態が成形されるということになる。
今は振動を使わずに説明したいと思う。
思うに、陰陽和音のようなものがあると思う。その法則によって、多様な形態、とりわけ、多角形が形成されるのではにあだろうか。陰陽和音とは自然のもつ調和的階調である。それは、音楽で明らかなものである。
後でさらに検討したい。
聖書の神を脱構築する:唯一神は太一、陰陽の一(いつ)の氣、ないし太極になる
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
- 世界樹木神話/八坂書房
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著者ジャック・ブロスはユダヤ神秘主義のカバラのセフィロトの樹(生命の樹)について、次のように、新鮮な説明をしている。
なお、ケテルは私の仮説の実軸=日光軸に、そして、男性原理は陽、女性原理は陰、そして、中央の軸は、天地軸=時間軸に相当するかもしれない。
あるいは、−1が男性原理で、+1が女性原理となるかもしれない。しかし、基本的構造は同じと言えよう。
【この根源的な両性具有は男性原理が唯一支配的だった族長制社会から出た聖なる文書である『創世記』の中では、ぼかされてしまっているがーーといっても完 全に消去されてしまったわけではなく、ある程度すけて見えるーー、後代のヘブライの伝承の中で、「セフィロトSephrothの樹」とよばれるカバラの秘 教的な図像にはっきりと見てとることができる。それは、いかなる説明も不可能な名前のない「精神」、絶対の「無」から発し、一段一段徐々に段階を降り物質 にまで至る創造的な「力」の諸々の「流出」の過程を表わしたものである。光源、それゆえすでに姿が現われたもの、すなわち、あらゆる発現の源である根源的 なセフィラSephirah、つまりケテルKetherからーーこれは種子として表わされ、そこから「セフィロトの樹」の幹は伸びているーー二本の枝が生 えている。右の枝は万物の父であり男性原理を示すアッバAbbaすなわち「大いなる父」であり、左の枝はアイマAima〔iはウムラウトする〕すなわち大 いなる「母」である。これら二本の枝の間からは、すべてを統合する天の道であり、平衡軸でもある幹が伸びている。「しかも最後のセフィラは、世界創造とい うドラマツルギーの中で卓越した役割を担うよう要請されており、『母』あるいは『女王『』や『産婆』さらには『花嫁』などをも意味するシェキナー Schekinahと名づけられている。】(430〜431頁)
参考:
「セフィロトの樹」の解釈(その1)
http://kojiki.imawamukashi.com/j01kosatu/treeoflife01.html
参照:
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11805081122.html
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。
虚軸(陰陽軸)
陽凸i
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−1_____MP_____+1 実軸(日光軸)
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陰凹i
先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。)
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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
初めに、太陽ありき、である。
いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質
である。
暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html
追記:回転であるが、回転の後に逆 回転を考えたが、そうではなく、回転を続けるとも考えられよう。初め、虚軸90°左回転で、実軸になる。その後、さらに90°左回転で、新たに反対の虚軸 になる。これでも、死滅になるだろう。そう、この方が死滅として的確であろう。最初の虚軸は、いわば、誕生、出生であり、第1回目の90°左回転は、生命 現象の発現であり、第2回目の90°左回転における虚軸を死、死滅と見ると、最初の虚軸と釣り合い適切であろう。そして、第3回目の90°左回転における 実軸は、いわば、復活、新生・再生と見られるのではないだろうか。
では、第4回目の90°左回転における虚軸は何を意味するだろうか。それは、再度の死、死滅であるが、原点回帰である。原母界への回帰ではないだろうか。
人間ルネサンスのための無料の指導:氣的身体理性主義を推奨
テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性
勿論、肚は根底ではあるが、中心ではないのである。
中心は氣である。胸の中(中丹田)の氣である。しかし、氣一神教ではない。氣を中心としつつも、身体、有機的身体を重視し、かつ、そのための知性・理性を尊び実践するのが大事である。いわば、氣=身体=理性の三位一体である。氣の三位一体である。
これによって、健康も、心も、そして、身体も新生するのである。そう、若返るのである。
身体重視は乳酸菌を取ることや、運動である。私は豆乳ヨーグルトを食し、森氣浴瞑想散策を行なっている。
理性であるが、これは、検索すれば、たくさん健康のための食事方法が出ている。私は基本的に小食と穀菜食である。玄米と生野菜が中心である。
そして、いちばん重要なので、氣的感性である。氣の快感、あるいは、氣的美感を重視するのである。これは身体・肉体の快感とは、ズレるのである。身体・肉体は欲望に左右されるが、氣の快感・美感はその欲望とはズレるのである。(氣を涵養するには、生の自然に触れることがもっとも大事である。とりわけ、原生林や森に接触することである。都会では難しい。また、よい芸術、音楽、文学に触れることが必要である。私は特に、音楽、ポップスを推奨する。AmericaとABBAがすばらしい。)
氣は身体・肉体に関わりつつ、精神・心・知性・理性に関係するのである。以前述べたように、精神と身体の媒介なのであり、ここが要なのである。氣というメディアがキーポイントなのである。
ただし、気功とかは推奨しない。ただ、出発点にはなるだろうが。
とまれ、氣に基づく、氣的身体理性主義によって、心身を陶冶することを目指すべきである。
人間ルネサンスである。
追記:理性形成は、勿論、読書が必要である。読言である。言葉は、心や頭脳の栄養である。理性の栄養である。
古典を奨めるものの、その際、氣重視の姿勢、身体鍛練の実践は忘れてはならない。理性、氣、身体の三位一体主義である。
追記2:現実、経済的なことを言うと、実は、引き寄せがあると思うのである。心身が氣三位一体的に充実するならば、自然に経済的活路を見い出すと思われるのである。
そう、端的に言えば、本人の氣が引き寄せるのである。氣は人を生かすものであり、人を惹きつけるのであり、人を呼ぶのであり、結局、よき生業を呼ぶのである。
追記3:氣ー身体ー理性の氣三位一体論の強みは、宗教にならないことである。勿論、宗教も包摂できるのである。氣を神にする人もあるだろうが、それはオプションである。(追 記:さらに、オカルト主義やスピリチュアル主義にもならないのである。確かに、私は霊学のシュタイナーの影響を強く受けているが、氣を超える霊を私は説い ていない。氣の様態としては霊を考えるのであり、あくまで、氣が本体である。スピリチュアル主義であるが、それは、一種の一神教である。それは、確かに、 鋭い面をもつが、身体や理性の多元性を看過する欠陥があると考えられる。)
思うに、氣的身体理性主義とは、身体は経験論であり、理性は合理論であり、そして、氣的快感・美感とは、経験論的でもあるが、同時に観念論でもあるのである。何故なら、氣は内在超越性に通じるからである。形而上学に通じるからである。
故に、氣的身体理性論は、経験論、合理論、観念論の統合であると言える。
思えば、カントは構想力(想像力)によって、理性と感性の統一を考えたが、構想力では不十分である。それは観念論的であり、経験論、身体論に到達しないのである。
そう、氣は構想力(想像力)をも包摂するのである。
氣的身体理性論は、カント哲学を乗り越えたものである。また、プラトン哲学との関係であるが、確かに、陰陽イデアを説く点では、プラトン哲学の影響を受 けているのであり、プラトン哲学は有効である。しかしながら、氣を重視する点で、プラトン哲学をも超えていると考えられる。
太陽の内在超越的背景には、陰陽イデア情報(原宇宙創造情報)が存すると仮説する
テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性
以下の参照の私の記事と以下のIn Deepの記事を比較されたい。
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私自身は、社会の行方は、太陽の活動の影響を大きく受けるものだと思っています。そして、太陽活動最大期の今年は大きな影響を受けるものだと考えています。
それは天候や戦争やパンデミックなど全体のことだけではなく、たとえば、人間ひとりひとりの精神・メンタルに影響すれば、犯罪を含む「人間行動の異常」が世界的に広がってしまうかもしれないというような感覚も含まれます。
その「主」である太陽が異常なままなら、その「従」である私たち人間とその社会生活が正常を保てるとも思えないのです・・・。
過去記事で何度か取り上げたことがあります、 18世紀の『薔薇十字の秘密のシンボル』には下のようなイラストがあります。
このイラストの正確な解釈はわかりませんが、「太陽の中に神様がいるっぽい」雰囲気のようにも見えます。
あるいは逆に、「神様っぽい存在から太陽のコロナが出ている」(つまり、太陽は神様そのもの)というようにも見てとれます。
http://oka-jp.seesaa.net/article/392509199.html
In Deep
****************************
参照:
日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光は既述のようにx軸=実軸でいいだろう。
しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。
虚軸(陰陽軸)
陰凹i
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−1_____MP_____+1 実軸(天地軸)
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陽凸i
先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
初めに、太陽ありき、である。
いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質
である。
暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html
JUGEMテーマ:学問・学校
日光と太陽の区別:実軸と実軸を除いたガウス平面を包摂するMP(原点)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
太陽と日光は別物であるから、区別しないといけない。
日光はx軸=実軸でいいだろう
しかし、太陽はx軸とy軸のガウス平面を内在する原点(MP:メディア・ポイント)だと思う。ただし、実軸x軸を除いて。
虚軸(陰陽軸)
陰凹i
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−1_____MP_____+1 実軸(天地軸)
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陽凸i
先に書いた上図のMPが太陽の中心になる。太陽総体はこの実軸を除いたガウス平面総体と考えるのである。
問題は日光である。これは、陰陽イデアを内在超越的に内包するのではないだろうか。
だから、日光は単純な光、電磁波ではないのである。陰陽イデアという内在超越情報をもっていると考えるのである。
この陰陽イデア情報が有機体形成の情報になると思われるのである。
ここでわかりやすくするため、陰陽イデア情報による生命体形成を考える。
日光を媒介にして、陰陽イデア情報が現象界に伝達されるのである。そして、陰の成分は、例えば、内臓的なものに、そして、陽の成分は骨格的なものになると考えられるのである。
大雑把に言えば、陰は水的なものであり、陽は鉱物的なものになるのである。わかりやすく便宜的に言えば、陰は内界に、陽は外界になるのである。
もっとわかりやすく言えば、陰は肚(下丹田)に、陽は頭脳(上丹田)になるのである。そして、MPは胸の心(中丹田)になるのである。
というように、光ではなく、日光、陽光、太陽光に、生命体の根源があると考えられるのである。
ただし、日光が包摂する陰陽イデア情報が生命有機体、自然の本質である。
後で、この陰陽イデア情報の生命有機体化する力学を解明する必要がある。
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氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
初めに、太陽ありき、である。
いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質
である。
暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11803090704.html
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質:x軸=実軸=日光軸、y軸=虚軸=陰陽軸、z軸=天地軸=時間軸
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11802798561.html
先に以上のものを書いたものの、氣から有機体変換の力学は不明である。単に、数理的に提示しただけである。
また考え直した。(どうも、袋小路的状況である。)
陰陽の90°回転で、±1が生じる。−1を陽子、+1を電子とみるのである。符号的には逆であるが、一応そうしておく。
これが水素原子を形成すると考える。
そうすると、+と−は電荷、電極を意味すると言えよう。
ここで、また、天地軸の視点を使うのである。つまり、ガウス平面に直交する軸である。
ここで天地軸を時間軸と考えるのである。そうすると、水素原子は、動的に展開するだろう。これで、分子やその他、有機体が形成されるとするのである。
おそらく、時間軸は物質軸ではないだろうか。あるいは、現象軸である。
そうすると、+1と−1は、水素原子ではなく、原水素原子であろう。物質化以前である。前物質、前水素原子である。
それが、時間化されて物質になると思われる。
しかし、90°回転で、必然的に時間が生まれると思う。
すると、陰陽⇒前水素原子ー水素原子である。
ガウス平面をイデア平面とすると、時間軸=物質軸によってもたらされるのは、現象界である。だから、現象とはイデアの時間化のこととなろう。
イデアが時間化されることで、有機体が現象すると思われる。
あえて言えば、イデアの時間化が物質化である。
そう、時間軸を考えたとき、それも+1と−1とすれば、四元数を適用できよう。ガウス平面の虚軸をy軸、実軸をx軸、時間軸をz軸とすれば、実軸と時間軸の両者に±1があることになる。
ならば、実軸と言い方は不適切であるが、暫定的にそう使用する。
とまれ、以上から、時間が物質化の原因である。
そうすると、日光はどうなるだろうか。
思うに、実軸の±1を日光におけないだろうか。日光自体は、質量がない。いわば、前物質である。
そうならば、日光が時間をもたらすのである。日光が物質形成をするのである。
ここで少し整理する。
この三次元直交座標で、x軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を時間軸とする。x軸とy軸でガウス平面を形成する。
そして、虚軸=y軸=陰陽軸となる。これが、90°回転して、x軸=実軸の±1を形成する。これが日光である。だから、
x軸=実軸=日光(太陽)軸である。
そして、90°回転と同時に、z軸=時間軸が生起する。
これが、日光を物質化するのである。そう、有機体化である。
結局、z軸=時間軸=有機体軸である。
結局、ガウス平面とは、氣平面であり、実軸において、太陽となり、視覚化されるのである。
これで、日光の本体が氣であるということが証明されたと言えよう。
結局、z軸=時間軸=有機体軸は、x軸=実軸=日光(太陽)軸と同時展開である。そして、xyz軸以外に、空間三次元が発現するということになると考えられる。(ここで、四元数が適用できよう。)
とまれ、以上のように考えると、氣が根源であるものの、日光(太陽)が有機体の基因であると考えられる。
初めに、太陽ありき、である。
いわば、光から物質が生まれるのである。
そして、光は氣から生まれるのである。即ち、
氣⇒日光(太陽)⇒有機体物質
である。
暫定的ではあれ、以上から氣から有機体の発生が以前より、明快になったと言えよう。ポイントは、日光が媒体であるということである。
後でさらに検討したい。
JUGEMテーマ:学問・学校
思いつき:天地軸は物質軸?:虚軸=陰陽イデア情報、実軸=時間(エネルギー)、天地軸=身体軸
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1:実軸は時間軸:+1が氣、−1が物質エネルギーという作業仮説
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11800193591.html先の以上の私見は思いつきであり、暫定的に過ぎない。
今日、森の一角の屹立する杉木立のいつもの思索の場で想像したのは、天地軸は物質軸であり、それが、陰陽情報時間エネルギーに物質的様態を与えるのではないかということである。
ガウス平面の虚軸の陰陽イデア情報(形態情報も含む)と実軸の時間エネルギーが原点(MP:メディア・ポイント:言うならば、虚穴、虚孔)において、天 地軸を基軸として、螺旋に現象すると考えるが、そのとき、陰陽イデアと時間エネルギーに物質形状、物質様態、あるいは、身体を与えるのは、天地軸の成分の ように思えたのである。
だから、天地軸を物質軸あるいは身体軸と呼べるのではないだろうか。あるいは、アリストテレス哲学で言うと、質料になるだろう。
言わば、イデア・エネルギーに物質を付着させるのである。
しかし、そのメカニズムは微妙と思われる。
陰陽イデア情報(あるいは、自然情報、生命情報、有機体情報)に従って、物質身体化するのであるが、そのとき、情報自体が物質化すると同時に、情報自体は物質化自体とは別に存していると思われる。つまり、即非の関係がそこにはあると思われる。
即ち、陰陽生命情報・即非・生命物質現象ということである。簡単に言えば、氣・即非・身体である。
つまり、氣は身体に存すると同時に存しないという矛盾論理にあるのである。あるいは、氣は内在的であると同時に、超越的であるということになるのである。
そして、身体であるが、それは、氣の物質的様態であるが、物質的エントロピーをもつと思われる。それ故に、死滅すると考えられるのである。
氣自体は、超越的氣自体はおそらく、不滅である。しかし、氣の物質的様態である身体は死滅する。
霊学的に言えば、氣が霊であり、身体が物質である。
今はここで留める。
参照:以下の三次元直交座標のx軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を天地 軸に見られたい。x軸=時間軸、y軸=陰陽軸、x軸=現象軸である。x軸とy軸でガウス平面を形成するが、それらは内在超越平面で不可視である。原点 (MP:メディア・ポイント)から三次元空間が発現する。しかし、生命現象はz軸を基軸として、螺旋を描くと見る。
追記:天地軸を物質軸、身体軸、ないし、質料軸とした場合、それは、先に述べたように、実軸(±1)である時間の一種の次元転換されたものに思える。
先には、−1を物質エネルギー、+1を氣としたが、それは、破棄する。つまり、物質エネルギーは当然、天地軸(これは、思うに、仮象軸とも言えるのであり、簡単に、仮軸と呼べよう。あるいは、現象軸、現軸と呼べよう。あるいは、身体軸、身軸、体軸である。)であり、氣は陰陽である虚軸に存するとするのである。
では、問題は、実軸=時間軸の−1と+1は何を意味するのかということである。
負の時間と正の時間? 森の中の思索では、それらは、電磁気の極性であった。
でも、現時点では、時間の方がいい。
思うに、−1は未来から来る時間で、+1は過去から来る時間だろうか。
そうならば、極性的時間が共振して、自然現象が発生するということになる。
この問題はおいておく。
追記2:今閃いたことだが、+1は生の時間で、−1が死の時間ではないだろうか。あるいは、それぞれ、生エネルギーと死エネルギーである。フロイト的に言えば、エロスとタナトスである。
生命体において、初め、+1の生時間エネルギーが作用し、そのエネルギーが衰滅すると、−1の死時間エネルギーが発動するようになるのではないだろうか。言わば、時間エネルギー保存の法則である。
言い換えると、構築と脱構築の関係となろう。わかりやすく言うと、生と死のリズムである。これは、わかりやすいだろう。一日においても、このリズムがあるだろう。昼と夜のリズムである。
今はここで留める。
参照2:
映画THRIVEのアップルの形態が参考になる。即ち、以下の画像であるが、渦巻がガウス平面=陰陽平面=渦巻平面に当たり、そして、渦巻の中心から垂直に伸びる柱のようなものが天地軸であり、そして、それに絡まるような螺旋が自然・生命・有機体現象と見たい。)
参考図:映画THRIVEの宇宙を表わすアップル像
参照3:
参考:以下、『海舌』氏のガウス平面を使用した人間認識図を提示する。ただし、実軸の捉え方は今の時点とは異なっている。
『海舌』氏の人間認識図(要大修正)
(要注意:
1)虚軸の陽凸を光、陰凹を闇とするのは、間違いであり、前者は陽凸i⇒陽自我【知性】とし、後者を陰凹i⇒陰自我【感性】とする。(追記:これは、現時点(2014年3月20日)において、私の間違いであり、『海舌』氏の視点は正しい。)
2)実軸+1=存在・現存在、実軸−1=超越的存在とするのも誤りで、+1と−1を電極、磁極の極性と見る。
3)記述されている象限の見方も誤りとし、新しい視点では、第一象限は理性、哲学、第二象限は科学、知性、第三象限は生活、第四象限は直観・直感、芸術、のそれぞれの領域・圏と見る【暫定的である】。
4)原点をMP【Media Point:メディア・ポイント】とするが、虚軸上の原点をMP1、実軸の原点をMP2とする。そして、極めて重要なことは、MP1とMP2が不連続・非 連続であることである。MP1⇒MP2はあるが、逆、MP2⇒MP1は成立しない。だから、先に、陰陽方程式を陰凹i*陽凸i⇔±1にしたのは誤りであ り、訂正する。陰陽調和心は原点、即ち、MP1に存する。そして、それは、MP2を派生するだろう。D. H. ロレンスのセクシュアリティはこのMP1とMP2の連結にあるだろう。
5)これは、作業仮説的で あるが、植物の氣は当然、虚軸に存するのであり、これは、動物にも存するが、動物的身体は、実軸が主導的だと思う。それに対して、植物的身体は虚軸が主導 的だと思う。つまり、植物は氣が主導的であり、動物は物質が主導的である。言い換えると、植物と動物、当然、両者、氣的身体【ガウス平面の虚軸と実軸の十 字架】をもつが、前者は虚軸の氣が主導的で、後者は実軸の物質性が主導的である。ただし、人類は動物から植物へと進化の過程にあると見る。)
今思いついたが、(もっとも、以前考えたことだが、)+1と−1を物質的極性と見ることである。つまり、磁界や電界の極性である。つまり、NとS、プラスとマイナスである。
電子で言えば、+1が陽電子であり、マイナスが陰電子である。磁界で言えば、+1がN極であり、−1がS極である。
電磁波は両者を合わせればいいだろう。つまり、+1と−1は電磁波を表わすということである。とまれ、実軸が物質軸であるというは納得しやすいだろう。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html?frm_src=thumb_module